宋名臣言行録 / 前集巻二・李沆
沆自奉甚薄所居陋巷㕔事無重門頹垣敗壁不以屑慮堂前藥欄壊妻戒守舍者勿葺以試沆沆朝夕見之經月終不言妻以語沆沆笑謂其弟維曰豈可以此動吾一念哉家人勸治居第未嘗答維因語次及之沆曰身食厚禄時有横賜計囊裝亦可以治第但念内典以此世界為缺陷安得圓滿如意自求稱足今市新宅須一年繕全人生朝暮不可保又豈能乆居巢林一枝聊自足爾安事豐屋哉
新字:沆自奉甚薄所居陋巷㕔事無重門頹垣敗壁不以屑慮堂前薬欄壊妻戒守舎者勿葺以試沆沆朝夕見之経月終不言妻以語沆沆笑謂其弟維曰豈可以此動吾一念哉家人勧治居第未嘗答維因語次及之沆曰身食厚禄時有横賜計囊装亦可以治第但念内典以此世界為欠陥安得円満如意自求称足今市新宅須一年繕全人生朝暮不可保又豈能乆居巣林一枝聊自足爾安事豊屋哉
書き下し
沆、自ら奉ずること甚だ薄し。居る所は陋巷にして、㕔事に重門無し。頹垣敗壁も慮りを屑しとせず。堂前の藥欄壊る。妻、守舍者を戒めて葺かしめず、以て沆を試む。沆朝夕之を見るも、月を經て終に言わず。妻、以て沆に語る。沆笑いて其の弟維に謂いて曰く、豈に此を以て吾が一念を動かす可けんやと。家人、居第を治めんことを勸む。未だ嘗て答えず。維、語次に因りて之に及ぶ。沆曰く、身は厚禄を食み、時に横賜有り。囊裝を計れば亦た以て第を治む可し。但だ内典に此の世界を以て缺陷と為すを念う。安んぞ圓滿如意を得て自ら稱足を求めん。今、新宅を市わば須らく一年にして繕全なるべし。人生は朝暮も保つ可からず。又た豈に能く乆しく居らんや。巢林の一枝、聊か自ら足るのみ。安んぞ豐屋を事とせんやと。
現代語訳
李沆は自分に対する暮らしぶりがきわめて質素だった。住まいは狭い路地にあり、庁舎に重厚な門も無かった。崩れた垣や傷んだ壁も気にかけなかった。庭前の薬草の囲いが壊れた。妻は留守番の者を戒めて修理させず、それで李沆を試した。李沆は朝も晩もそれを見ていたが、ひと月たっても何も言わなかった。妻がそのことを李沆に話した。李沆は笑って弟の維に言った。「こんなことで私の心が一つでも動くものか」。家の者が屋敷を建て直すよう勧めた。一度も答えなかった。維が話のついでにそのことに触れた。李沆は言った。「私は厚い俸禄をいただき、ときには特別の下賜もある。蓄えを計算すれば屋敷を建てることもできよう。ただ、仏典がこの世界を欠けたものと見ていることを思う。どうして満ち足りて思いどおりであることを得て、自分から満足を求めようか。いま新しい家を買えば、仕上げるのに一年はかかる。人の一生は朝から晩までも保証がない。それにどうして長く住めよう。林に巣をかけるのに一枝あれば、それで足りる。どうして立派な家を事とすることがあろう」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻二・李沆公相と為り、居第を封丘門の内に治む。聴事の前、僅かに馬を旋らすを容る。或ひと其の太だ隘きを言う。公笑いて曰く、居第は當に子孫に傳うべし。此れ宰相の㕔事と為さば誠に隘し。太祝・奉禮の㕔事と為さば已に寛しと。
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『宋名臣言行録』前集巻二・李沆沆相位に在り、賔客に接するに常に言寡なし。馬亮、沆と同年の生なり。又た其の弟維と善し。維に語りて曰く、外議大兄を以て無口匏と為すと。維、間に乘じて亮の語を達す。沆曰く、吾れ知らざるに非ざるなり。然れども今の朝士、殿に升りて事を言い、封を上りて論奏するを得。了に壅蔽無く、多く有司に下る。皆な之を見るなり。邦國の大事の若きは、北に強虜有り、西に戎遷有り。日旰に條議して以て備禦する所の䇿、詳究せざるに非ず。薦紳の中、李宗諤・趙安仁の如きは皆な時の英秀なり。之と談ずるも猶お吾が意を啟發する能わず。自餘の通籍の子、坐起拜揖すら尚お周章して措を失う。席に即けば必ず自ら功最を論じて以て寵奬を希う。此れ何の䇿有りて之と接語せんや。茍くも意を曲げて妄言せば、即ち世に所謂る籠罩なり。籠罩の事、僕病みて未だ能わず。我が為に馬君に謝せよと。沆嘗て言う、重位に居るも實に萬分に補う無し。唯だ中外の陳ぶる所の利害、一切之を報罷す。此れ少しく以て國に報ゆるのみと。朝廷の防制は纎悉備具す。或いは陳請する所に狥いて一事を施行せば、即ち傷る所多し。陸象先曰く、庸人之を擾すと。正に此の謂いなり。憸人は一時の進を茍くす。豈に民を念わんや。
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『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公、杭州に在り。子弟、公に退く志有るを以て、間に乘じて第を洛陽に治め、園圃を樹えて以て逸老の地と為さんことを請う。公曰く、人、茍しくも道義の樂しみ有らば、形骸すら外にす可し。況んや居室をや。吾れ今、年六十を踰ゆ。生くること且つ幾ばくも無し。乃ち第を樹て圃を治むるを謀るも、顧みて何れの時にか居らんや。吾が患う所は位髙くして退くに艱むに在り。退きて居無きを患えず。且つ西都の士大夫、園林相い望む。主人為る者、常に遊ぶを得る莫し。而して誰か獨り吾が遊ぶを障げんや。豈に必ずしも諸を已に有して而る後に樂しみと為さんやと。
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『宋名臣言行録』前集巻二・李沆公相と為る。真宗嘗て夜、使いを遣わして手詔を持たしめ、某氏を以て貴妃と為さんと欲す、如何と問う。公、使者に對して燭を引きて其の詔書を焚く。附奏して曰く、但だ臣沆以て不可と為すと道えと。其の議遂に寢む。
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『宋名臣言行録』前集巻二・李沆沆嘗て曲宴に侍す。太宗之を目送して曰く、沆の風範端凝、真の貴人なりと。(䝉求)真宗既に契丹と和親す。王文正公、公に問いて曰く、和親は何如と。公曰く、善は則ち善し。然れども邉患既に息まば、恐らくは人主漸く侈心を生ぜんのみと。文正も亦た未だ以て然りと為さず。上の晚年に及び、事多く、廵逰して大いに宮觀を修む。文正乃ち潛かに嘆じて曰く、李公は先知の明有りと謂う可しと。
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠公の寢室の中、侍婢・服玩の物無く、閴如たり。李畋嘗て廡下に侍坐す。因りて謂う、公の寢は禪室に如かずと。公哂いて曰く、吾れ輕肥を為さず。官と為りて以て此に至る。吾れ往年及第の後、詩を傅霖逸人に寄せて云う、前来、脚を失して漁磯を下る、明時に苦戀して未だ歸るを得ず、巢由に寄與す、相い笑う莫かれ、此の心は是れ輕肥を愛するにあらずと。豈に今日の言ならんやと。