宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
公又曰塞鴈門者以備元昊也增塘水始於何承矩事在通好前地卑水聚不得不增城壘皆修舊民兵亦舊籍特補其缺爾非違約也晉髙祖以盧龍一道賂契丹周世宗復伐取關南皆異代事宋興已九十年若各欲求異代故地豈北朝之利哉
新字:公又曰塞鴈門者以備元昊也增塘水始於何承矩事在通好前地卑水聚不得不增城塁皆修旧民兵亦旧籍特補其欠爾非違約也晉高祖以盧竜一道賂契丹周世宗復伐取関南皆異代事宋興已九十年若各欲求異代故地豈北朝之利哉
書き下し
公又た曰く、鴈門を塞ぐは、以て元昊に備うるなり。塘水を增すは何承矩に始まる。事は好を通ずる前に在り。地卑くして水聚まる、增さざるを得ず。城壘は皆舊を修む。民兵も亦た舊籍にして、特だ其の缺を補うのみ。約に違うに非ざるなり。晉の高祖、盧龍一道を以て契丹に賂し、周の世宗復た伐ちて關南を取るは、皆異代の事なり。宋興りて已に九十年。若し各ミ異代の故地を求めんと欲せば、豈に北朝の利ならんやと。
現代語訳
富弼はさらに言った。「雁門を塞いだのは、元昊に備えるためです。堤の水を増したのは何承矩に始まり、事は好を通じる前のことです。土地が低くて水が集まるので、増やさざるを得ません。城壁はみな旧いものを修めたのです。民兵もまた元の名簿で、ただその欠けたところを補っただけで、約束に背いたのではありません。晋の高祖が盧竜一道を契丹に贈ったこと、周の世宗がまた討って関南を取ったことは、みな別の王朝の事です。宋が興ってすでに九十年になります。もしそれぞれが別の王朝の時代の故地を求めようとするなら、それがどうして北朝の利になりましょうか」。
解説
大枠で相手を動かしたあとに、細目を一つずつ潰します。四つの言いがかりに、それぞれ事実で答えました。**雁門は元昊への備え、堤の水は好を通じる前から、城壁は旧いものの修理、民兵は元の名簿の欠員補充。**そして領土の請求そのものへ移ります。ここが巧い。否定していません。**もしそれぞれが別の王朝の時代の故地を求めようとするなら、それがどうして北朝の利になりましょうか。**遡って請求してよいという原理を認めれば、契丹自身が失う側になる。相手の側の損得で、原理を引き取らせています。
この章句が説くこと
鴈門を塞ぐは以て元昊に備うるなり民兵も亦た旧籍にして特だ其の欠を補うのみ約に違うに非ざるなり皆異代の事なり宋興りて已に九十年若し各ミ異代の故地を求めんと欲せば豈に北朝の利ならんや事実反論
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