宋名臣言行録 / 後集巻十一・蘓頌
元豐中上曰欲修一書非卿不可以契丹通好八十餘年盟誓聘使禮幣儀式皆無所考㨿朕欲成一書但患邇来修書者遷延嵗月不肯早成公曰恐須一二年可矣上喜曰果然及書成賜名魯衛信錄奏篇上上讀序引大喜曰正類序卦之文
新字:元豊中上曰欲修一書非卿不可以契丹通好八十余年盟誓聘使礼幣儀式皆無所考㨿朕欲成一書但患邇来修書者遷延歳月不肯早成公曰恐須一二年可矣上喜曰果然及書成賜名魯衛信録奏篇上上読序引大喜曰正類序卦之文
書き下し
元豐中、上曰く、一書を修めんと欲するに、卿に非ざれば不可なり。契丹と通好すること八十餘年、盟誓・聘使・禮幣・儀式、皆考據する所無し。朕一書を成さんと欲す。但だ患うるは、邇来書を修むる者、歲月を遷延して早く成すを肯んぜざるなり、と。公曰く、恐らくは一二年を須ちて可ならん、と。上喜びて曰く、果して然り、と。書成るに及びて名を魯衞信錄と賜う。篇を奏して上る。上序引を讀みて大いに喜びて曰く、正に序卦の文に類す、と。
現代語訳
元豊年間、天子は言った。「一つの書物を編ませたいのだが、そなたでなくてはできない。契丹と国交を結んで八十余年になるが、盟約の誓い、使節の往来、贈答の礼物、儀式のかたち、どれも典拠として調べられるものがない。朕は一書にまとめさせたい。ただ心配なのは、近ごろ書物を編む者が歳月を引き延ばして、早く仕上げようとしないことだ」。蘇頌は言った。「おそらく一、二年をいただければできましょう」。天子は喜んで言った。「やはりそうか」。書が完成すると『魯衛信録』の名を賜った。編を奏上した。天子は序文を読んで大いに喜び、「まさに『序卦伝』の文に似ている」と言った。
解説
天子の依頼には、注文が二つ入っていました。中身と、期限です。しかも後者のほうを本当に心配していました。**近ごろ書物を編む者が歳月を引き延ばして、早く仕上げようとしないことだ。**蘇頌の答えは一行でした。**おそらく一、二年をいただければできましょう。**引き受ける言葉より先に、期間を出しています。だから天子は喜びました。八十年分の外交記録がどこにも整理されていない、という状態にも目が留まります。日々のやり取りは、誰かがまとめない限り残りません。
この章句が説くこと
契丹と通好すること八十余年盟誓・聘使・礼幣・儀式皆考拠する所無し邇来書を修むる者歳月を遷延して早く成すを肯んぜず恐らくは一二年を須ちて可ならん書成るに及びて名を魯衛信録と賜う期限編纂
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