宋名臣言行録 / 前集巻四・王曙
公與薛簡肅公俱嘗鎮蜀而皆有名章獻時同為執政一日奏事已因語蜀事公曰臣在蜀時有告戍卒反乃執而斬之于營門遂無事薛曰臣在蜀時亦有告戍卒反者叱出之亦無事
新字:公与薛簡粛公倶嘗鎮蜀而皆有名章献時同為執政一日奏事已因語蜀事公曰臣在蜀時有告戍卒反乃執而斬之于営門遂無事薛曰臣在蜀時亦有告戍卒反者叱出之亦無事
書き下し
公と薛簡肅公と、俱に嘗て蜀に鎮す。而して皆な名有り。章獻の時、同に執政と為る。一日、事を奏し已わる。因りて蜀事を語る。公曰く、臣、蜀に在りし時、戍卒の反せんとするを告ぐる有り。乃ち執えて營門に之を斬る。遂に事無しと。薛曰く、臣、蜀に在りし時、亦た戍卒の反せんとするを告ぐる者有り。之を叱り出だす。亦た事無しと。
現代語訳
公と薛奎とは、どちらも蜀に鎮したことがあった。そして二人とも名声があった。章献太后の時、ともに執政となった。ある日、奏上が終わった。そこで蜀のことを語り合った。公は言った。「私が蜀にいたとき、駐屯の兵が謀反しようとしていると告げる者がありました。そこで捕らえて陣門で斬りました。それきり何事もありませんでした」。薛奎は言った。「私が蜀にいたときにも、駐屯の兵が謀反しようとしていると告げる者がありました。叱りつけて追い出しました。それきり何事もありませんでした」。
解説
同じ密告に、正反対の応じ方をして、どちらも何事も無かった条です。**片方は捕らえて陣門で斬り、片方は叱りつけて追い出した。**編者は評を付けていません。並べて置いただけです。斬れば密告が止み、追い出しても密告が止む。止めたかったのは謀反ではなく、密告のほうだったとも読めます。処し方の正解が一つでないことを、二人の対話の形でそのまま示した条です。
この章句が説くこと
臣蜀に在りし時戍卒の反せんとするを告ぐる有り乃ち執えて営門に之を斬る亦た戍卒の反せんとするを告ぐる者有り之を叱り出だす遂に事無し密告対処対比
関連する章句
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