宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
上曰今天下詾詾者孫叔敖所謂國之有是衆之所惡也光曰然陛下當審察其是非然後守之今條例司所為獨安石韓絳惠卿以為是天下皆以為非也陛下豈能獨與此三人共為天下邪遂退
新字:上曰今天下詾詾者孫叔敖所謂国之有是衆之所悪也光曰然陛下当審察其是非然後守之今条例司所為独安石韓絳恵卿以為是天下皆以為非也陛下豈能独与此三人共為天下邪遂退
書き下し
上曰く、今天下の詾詾たるは、孫叔敖の所謂國の是有るは衆の惡む所なり、かと。光曰く、然り。陛下は當に其の是非を審察して然る後に之を守るべし。今條例司の爲す所は、獨り安石・韓絳・惠卿のみ以て是と爲し、天下は皆以て非と爲すなり。陛下豈に能く獨り此の三人と共に天下を爲さんやと。遂に退く。
現代語訳
天子は言った。「いま天下が騒がしいのは、孫叔敖のいわゆる『国に是があるのは、人々の憎むところである』ということか」。司馬光は言った。「そのとおりです。陛下は、その是非をつまびらかにお調べになったうえで、それを守られるべきです。いま条例司の行うところは、ただ安石・韓絳・恵卿の三人だけが正しいとし、天下はみな正しくないとしています。陛下は、この三人だけと共に天下を治められましょうか」。そのまま退出した。
解説
正しい政は憎まれる、という理屈は、あらゆる強行を支えます。天子が持ち出したのもそれでした。**国に是があるのは、人々の憎むところである。**司馬光は否定していません。**そのとおりです。**そのうえで条件を付けました。**その是非をつまびらかにお調べになったうえで、それを守られるべきです。**憎まれていること自体は、正しさの証拠にならない。そして数を数えてみせました。**ただ安石・韓絳・恵卿の三人だけが正しいとし、天下はみな正しくないとしています。**
この章句が説くこと
今天下の詾詾たるは孫叔敖の所謂国の是有るは衆の悪む所なりか陛下は当に其の是非を審察して然る後に之を守るべし独り安石韓絳恵卿のみ以て是と為し天下は皆以て非と為すなり陛下豈に能く独り此の三人と共に天下を為さんや少数多数
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