宋名臣言行録 / 後集巻五・彭思永
為荆湖北轉運使至部奏罷守令之殘暴疲懦者各一人而八州知勸時大農以利誘諸路使以羡餘為獻公曰裒民取賞吾不忍為遂無所獻
新字:為荆湖北転運使至部奏罷守令之残暴疲懦者各一人而八州知勧時大農以利誘諸路使以羡余為献公曰裒民取賞吾不忍為遂無所献
書き下し
荊湖北轉運使と爲る。部に至りて奏して守令の殘暴・疲懦なる者各ミ一人を罷む。而して八州勸むるを知る。時に大農利を以て諸路を誘い、羨餘を以て獻ぜしむ。公曰く、民より裒めて賞を取るは吾忍びて爲さずと。遂に獻ずる所無し。
現代語訳
荊湖北転運使となった。管内に着いて上奏し、守や令のうち、残酷で乱暴な者と、だらけて気力のない者を、それぞれ一人ずつ罷免した。それで八つの州は励むことを知った。当時、大農が利益をもって諸路を誘い、余った金を献上させていた。彭思永は言った。「民から集めて賞をもらうのは、私は忍びなくてできない」。ついに何も献上しなかった。
解説
八州を引き締めるのに、二人だけを外しました。しかも選び方が対になっています。**残酷で乱暴な者と、だらけて気力のない者を、それぞれ一人ずつ。**両端を一つずつ落とすことで、どちらの方向にも線が引かれます。多数を処分するより、境界が明確になる。**それで八つの州は励むことを知った。**そして自分の得点は取りませんでした。**民から集めて賞をもらうのは、私は忍びなくてできない。**余剰金の献上は、上に評価される近道です。
この章句が説くこと
部に至りて奏して守令の残暴疲懦なる者各ミ一人を罷む而して八州勧むるを知る時に大農利を以て諸路を誘い羨余を以て献ぜしむ民より裒めて賞を取るは吾忍びて為さず見せしめ人事
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