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宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼

知諌院康定元年日食正旦公言請罷燕撤樂雖虜使在館亦宜就賜飲食而已執政以為不可公曰萬一虜主行之為朝廷羞後使虜還者云虜中罷燕如公言仁宗悔之

新字:知諌院康定元年日食正旦公言請罷燕撤楽雖虜使在館亦宜就賜飲食而已執政以為不可公曰万一虜主行之為朝廷羞後使虜還者云虜中罷燕如公言仁宗悔之

書き下し

諫院を知る。康定元年、日食正旦なり。公言う、燕を罷め樂を撤せんことを請う。虜使館に在りと雖も、亦た宜しく就きて飲食を賜うのみなるべしと。執政以て不可と爲す。公曰く、萬一虜主之を行わば、朝廷の羞と爲らんと。後に虜より還る者云う、虜中燕を罷むること公の言の如しと。仁宗之を悔ゆ。

現代語訳

諫院の長となった。康定元年、日食が元日にあたった。富弼は言った。「宴を取りやめ、楽を撤するようお願いします。契丹の使者が館にいるとはいえ、その場に赴いて飲食を賜るだけにすべきです」。執政はこれを認めなかった。富弼は言った。「万一、契丹の主がそれを行えば、朝廷の恥となります」。のちに契丹から帰った者が言った。「契丹では宴を取りやめました。富弼の言ったとおりでした」。仁宗はこれを悔いた。

解説

日食の日に宴を張るかどうか、という儀礼の話です。反対の理由が、礼の正しさではありませんでした。**万一、契丹の主がそれを行えば、朝廷の恥となります。**同じ天の異変を、隣国も見ている。向こうが慎み、こちらが宴を張れば、その差がそのまま外に出ます。自国の作法の問題を、相手からどう見えるかで論じた。そして結果が出ました。**契丹では宴を取りやめました。富弼の言ったとおりでした。****仁宗はこれを悔いた。**

この章句が説くこと

康定元年日食正旦なり燕を罷め楽を撤せんことを請う万一虜主之を行わば朝廷の羞と為らん虜中燕を罷むること公の言の如し仁宗之を悔ゆ儀礼面目

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