宋名臣言行録 / 後集巻五・唐介
至和後仁宗臨朝淵黙公言君臣如天地以交泰為治願時延訪羣下發徳音可否政事以幸天下又言賞罰不可以貴賤輕重如孫沔吕溱侈縱宜深責必行則衆信矣論宫禁干丐恩澤其命不由中書此古所謂斜封非盛朝所宜有請裁放後宫冗數罷祈禳之不經者又言士節弗立願委大臣進敦厚忠朴之士稍抑聚歛文法吏以消刻薄浮競之風
新字:至和後仁宗臨朝淵黙公言君臣如天地以交泰為治願時延訪羣下発徳音可否政事以幸天下又言賞罰不可以貴賤軽重如孫沔呂溱侈縦宜深責必行則衆信矣論宫禁干丐恩沢其命不由中書此古所謂斜封非盛朝所宜有請裁放後宫冗数罷祈禳之不経者又言士節弗立願委大臣進敦厚忠朴之士稍抑聚歛文法吏以消刻薄浮競之風
書き下し
至和の後、仁宗朝に臨みて淵默たり。公言う、君臣は天地の如し。交泰を以て治と爲す。願わくは時に羣下を延訪し、德音を發して政事を可否し、以て天下を幸せしめよと。又た言う、賞罰は貴賤を以て輕重す可からず。孫沔・呂溱の侈縱の如きは宜しく深く責むべし。必ず行わば則ち衆信ぜんと。宮禁の恩澤を干丐し、其の命の中書に由らざるを論ず。此れ古の所謂斜封なり。盛朝の宜しく有るべき所に非ずと。後宮の冗數を裁放し、祈禳の經ならざる者を罷めんことを請う。又た言う、士節立たず。願わくは大臣に委ねて敦厚忠朴の士を進め、稍ミ聚斂文法の吏を抑えて以て刻薄浮競の風を消せと。
現代語訳
至和の後、仁宗は朝に臨んで深く黙していた。唐介は言った。「君と臣は天と地のようなものです。交わり通ずることをもって治めとします。どうか時おり臣下を招いて尋ね、お言葉を発して政事の可否を示し、天下を幸いにしてください」。またこう言った。「賞罰は身分の貴賤によって軽くしたり重くしたりすべきではありません。孫沔や呂溱の贅沢で放縦なさまは、深く責めるべきです。必ず実行すれば、人々は信じます」。宮中を通じて恩典を求め、その任命が中書を経ていないことを論じた。「これが古にいう斜封です。盛んな朝廷にあってよいものではありません」。後宮の余分な人数を減らし、経典に基づかない祈祷をやめるよう願った。またこう言った。「士の節が立っておりません。どうか大臣に委ねて、篤実で忠実な士を進め、取り立てにばかり長けた法文の役人を少し抑えて、薄情で浮ついた風潮を消してください」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『鬼谷子』符言篇德の術に曰く、堅くして之を拒む勿かれ、と。之を許せば則ち防ぎ守り、之を拒めば則ち閉じ塞がる。高山は之を仰げば極むべく、深淵は之を度れば測るべし。神明の徳術は正靜にして、其れ之を極むる莫し。右は徳を主どる。賞を用うるは信を貴び、刑を用うるは正を貴ぶ。賞賜は信を貴び、必ず耳目の見聞する所に驗す。其の見聞せざる所の者も、闇に化せざる莫し。誠は天下神明に暢び、而るを况んや姦者の君を干すをや。右は賞を主どる。
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貞観政要・択官国家、忠良を進め、不肖を退けんことを思欲すること、十有余載なり。徒らに其の語を聞くも、其の人を見ざるは、何ぞや。蓋し之を言うは是にして、之を行うは非なればなり。之を言うこと是なれば、則ち公道より出づ。之を行うこと非なれば、則ち邪径に渉る。是非相い乱れ、好悪相い攻む。愛する所は罪有りと雖も、刑に及ばず。悪む所は辜(つみ)無しと雖も、罰を免れず。此れ所謂る之を愛せば其の生を欲し、之を悪めば其の死を欲する者なり。或いは小悪を以て大善を棄て、或いは小過を以て大功を忘る。此れ所謂る「君の賞は功無くして求むべからず、君の罰は罪有りて免るべからず」と者なり。賞は以て善を勧めず、罰は以て悪を懲らさずして、邪正の惑わざるを望む。其れ得べけんや。若し賞は疎遠を遺(わす)れず、罰は親貴に阿らず、公平を以て規矩と為し、仁義を以て準縄と為し、事を考えて以て其の名を正し、名に循いて以て其の実を求めば、則ち邪正は隠るる莫く、善悪は自ら分かれん。然る後に其の実を取り、其の華を尚ばず、其の厚きに処り、其の薄きに居らずんば、則ち言わずして化し、期月にして知るべし。若し徒らに美錦を愛して、民の為に官を択ばず、至公の言有りて、至公の実無く、愛して其の悪を知らず、憎みて遂に其の善を忘れ、私情に徇(したが)いて以て邪佞に近づき、公道に背きて忠良を遠ざけば、則ち夙夜怠らず、神を労し思いを苦しむと雖も、将に至理を求めんとするも、得べからざるなり。
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貞観政要・公平貞観二年、太宗房玄齢等に謂いて曰く、「朕は比(このごろ)隋代の遺老を見るに、咸な高熲は善く相為る者と称す。遂に其の本伝を観るに、公平正直と謂うべし。尤も治体を識る。隋室の安危は、其の存没に系(かか)る。煬帝は無道にして、枉げて誅夷せらる。何ぞ嘗て此の人を想見し、書を廃して欽嘆せざらんや。又た漢・魏より以来、諸葛亮は丞相と為り、亦た甚だ平直なり。嘗て表して廖立・李厳を南中に廃す。立は亮の卒するを聞き、泣きて曰く、『吾は其れ左衽せんか』と。厳は亮の卒するを聞き、病を発して死す。故に陳寿は称す、『亮の政を為すや、誠心を開き、公道を布く。忠を尽くし時に益ある者は、讎と雖も必ず賞す。法を犯し怠慢なる者は、親と雖も必ず罰す』と。卿等豈に企慕して之に及ばざるべけんや。朕は今、前代の帝王の善き者を慕う毎に、卿等も亦た宰相の賢なる者を慕うべし。若し是くの如くんば、則ち栄名高位、以て長く守るべし」と。玄齢対えて曰く、「臣聞く、国を理むるの要道は、公平正直に在り、と。故に『尚書』に云う、『偏無く党無ければ、王道は蕩蕩たり。党無く偏無ければ、王道は平平たり』と。又た孔子は『直きを挙げて諸を枉れるに錯(お)けば、則ち民服す』と称す。今、聖慮の尚ぶ所は、誠に以て政教の源を極め、至公の要を尽くし、区宇を囊括し、化して天下を成すに足る」と。太宗曰く、「此れ直だ朕の懐う所なり。豈に卿等と之を言いて行わざる有らんや」と。
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『韓非子』難一第三十六今赫は僅かに驕侮せざるのみにして、襄子之を賞するは、是れ賞を失うなり。明主は賞を無功に加えず、罰を無罪に加えず。
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『韓非子』二柄第七明主の其の民を導制する所の者は、二柄のみ。二柄とは、刑・徳なり。
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孫子・行軍篇數々賞する者は、窘するなり。數々罰する者は、困しむなり。先に暴にして後に其の衆を畏るる者は、不精の至りなり。来たりて委謝する者は、休息を欲するなり。