宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
公遂力求去已而公卒去位薦惠卿以代已命下之日京師大風雨土翳席逾寸俠又上書言安石本為惠卿所誤至此今復扳援以遂前非不復為宗社計
新字:公遂力求去已而公卒去位薦恵卿以代已命下之日京師大風雨土翳席逾寸俠又上書言安石本為恵卿所誤至此今復扳援以遂前非不復為宗社計
書き下し
公遂に力めて去るを求む。已にして公卒に位を去り、惠卿を薦めて己に代う。命の下るの日、京師大風雨。土席を翳うこと寸を逾ゆ。俠又た上書して言う、安石は本と惠卿の誤らしむる所と爲りて此に至る。今復た扳援して以て前非を遂げ、復た宗社の爲に計らずと。
現代語訳
王安石はついに力を尽くして辞去を求めた。やがて王安石はとうとう位を去り、呂恵卿を推薦して自分の代わりとした。任命が下った日、都は大風雨であった。砂土が敷物を覆うこと一寸を越えた。鄭俠はまた上書して言った。「安石はもともと呂恵卿に誤らされてここに至った。それをいままた引き上げて、以前の誤りを押し通し、もはや宗廟社稷のために計らなくなっている」。
解説
辞める人が、後任に誰を推すか。その一点だけを衝いた上書です。**呂恵卿を推薦して自分の代わりとした。**そして鄭俠の指摘が短い。**安石はもともと呂恵卿に誤らされてここに至った。それをいままた引き上げて。**自分を誤らせた相手を、自分の後に据えている。実際、後に王安石は「福建子」の三字を書き続けることになります。当日の空模様まで書き添えられているのが、この書の書きぶりです。**砂土が敷物を覆うこと一寸を越えた。**
この章句が説くこと
已にして公卒に位を去り恵卿を薦めて己に代う命の下るの日京師大風雨土席を翳うこと寸を逾ゆ安石は本と恵卿の誤らしむる所と為りて此に至る今復た扳援して以て前非を遂げ復た宗社の為に計らず後任誤り
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石既に行く。上惠卿に問う、鄭俠は小臣なり。禁中の密事及び大臣の奏對の言を何より之を聞けるやと。惠卿對えて曰く、此れ皆馮京の手錄、王安國をして持ちて之に示し、導きて言わしむるのみと。惠卿は京と同列にして議多く矛盾す。又た諂いて荊公に事うるを以て安國の疾む所と爲り、屢ミ其の兄に諷するも悟らず。故に并せて之に中つ。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石初め惠卿は公の知る所と爲り、驟かに引かれて執政に至る。公去るや惠卿遂に之に背く。公再び相たるに暨び、是に於いて華亭の詔獄を起こして、徐禧等をして之を按ぜしむ。惠卿の情得ず。練亨甫・呂嘉問、鄧綰の條する所の惠卿の事を以て其の間に交ミ鬬わしむ。復た惠卿の中つる所と爲り、語公の子雱に連なる。雱時に已に病む。此に坐して憂憤して卒す。公の憂傷益ミ堪えず。遂に再び罷め去るを求む。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石公晚年、鍾山の書院に於いて多く福建子の三字を寫す。蓋し呂惠卿を悔恨するなり。惠卿の陷るる所と爲るを恨み、惠卿の誤らしむる所と爲るを悔ゆるなり。毎に山行すれば多く恍惚として獨言すること狂者の若し。公既に病む。和甫邸吏の狀を以て公に示す。適ま司馬公相と作るを報ず。公悵然として曰く、司馬十二相と作れりと。公薨ず。溫公病中に在りて之を聞き、呂申公に簡して曰く、介甫に他無し。但だ執拗なるのみ。贈恤の典は宜しく厚くすべしと。溫公の盛德此くの如し。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石鄭俠介夫なる者は福州の人なり。公金陵に憂に居る時、嘗て從學す。後に進士に舉げられ、光州司法に調せらる。秩滿ちて京に至る。會ミ公政を秉る。問うに聞く所を以てす。俠因りて具さに青苗・免役・用兵の害を言う。公答えず。又た數ミ書を以て之を論ずるも亦た報ぜられず。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石公政を秉り天下の務めを更新す。而して宿德舊人の論議多く協わず。遂に新進を選用し、待するに不次を以てす。故に一時の政事は日ならずして皆舉がる。而して兩禁・臺閣・内外の要權は新進に非ざる莫し。三司の市易を論ずるに洎び、呂參政指して法を沮むと爲す。公信じて以て然りと爲し、堅く罷相を乞う。既に出づるに、呂嘉問・張諤公を持して泣く。公之を慰めて曰く、已に呂惠卿を薦めたりと。二子涙を收む。
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼安石參政となり、法を改め財を理むるを議す。公の意と合わず。公病と稱して去るを求む。章數十上る。上、誰か卿に代わる可きを問う。公彦博を薦む。上黙然たること良や久しくして曰く、安石は何如と。公も亦た黙然たり。八月、使相を以て亳州を判す。