宋名臣言行録 / 後集巻十四・陳襄
出知常州郡庠下窄不足以容生師公勤於經始成以不日其規模氣象遂為諸郡庠序之冠公晨入其中坐授諸生經義旁决郡事由是毗陵學者盛於二浙治平初召還将行委官閲公帑得雜收無名錢數百萬因召積年有官逋未償情可矜而力不足者悉以輸之葢公淡於宴樂故有餘足以周物
新字:出知常州郡庠下窄不足以容生師公勤於経始成以不日其規模気象遂為諸郡庠序之冠公晨入其中坐授諸生経義旁決郡事由是毗陵学者盛於二浙治平初召還将行委官閲公帑得雑収無名銭数百万因召積年有官逋未償情可矜而力不足者悉以輸之葢公淡於宴楽故有余足以周物
書き下し
出でて常州を知る。郡庠下窄にして以て生師を容るるに足らず。公經始に勤め、成すに日ならず。其の規模氣象、遂に諸郡庠序の冠と爲る。公晨に其の中に入り、坐して諸生に經義を授け、旁ら郡事を决す。是に由りて毗陵の學者、二浙に盛んなり。治平の初め召還せらる。將に行かんとして、官に委ねて公帑を閲せしむ。雜收無名の錢數百萬を得たり。因りて積年官逋有りて未だ償わず、情矜れむ可くして力足らざる者を召し、悉く以て之に輸す。蓋し公宴樂に淡し。故に餘り有りて以て物に周きに足る。
現代語訳
都を出て常州の知事となった。郡の学校は低く狭くて、生徒と教師を収めるのに足りなかった。陳襄は起工に励み、日を置かずに完成させた。その規模と趣は、ついに諸郡の学校のなかで一番となった。陳襄は朝早くそのなかに入り、座って生徒たちに経書の意味を授け、そのかたわらで郡の政務を裁いた。これによって毗陵の学ぶ者は、両浙のなかでも盛んになった。治平の初め、都に召還された。出発しようとして、役人に命じて公金の帳簿を調べさせた。雑収入で名目のない銭が数百万出てきた。そこで、長年官への未納があって返せず、事情は憐れむべきだが返済の力がない者を呼び出し、すべてこれに充てた。思うに陳襄は宴楽に淡白であった。だから余りがあり、それで人に行き渡らせることができた。
解説
去る前に帳簿を洗った話です。出てきたのは、宙に浮いた金でした。**雑収入で名目のない銭が数百万出てきた。**持ち去ることも、後任に引き継ぐこともできます。選んだのは第三の使い道でした。**長年官への未納があって返せず、事情は憐れむべきだが返済の力がない者を呼び出し、すべてこれに充てた。**そして余りが出た理由も書き添えられています。**陳襄は宴楽に淡白であった。だから余りがあり。**使わなかったから、使い道を選べました。
この章句が説くこと
郡庠下窄にして以て生師を容るるに足らず公経始に勤め成すに日ならず公晨に其の中に入り坐して諸生に経義を授け旁ら郡事を決す雑収無名の銭数百万を得たり積年官逋有りて未だ償わず情矜れむ可くして力足らざる者を召し悉く以て之に輸す公金清算
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