宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
公糾察在京刑獄時有用偽牒為僧者事覺乃堂吏為之開封按餘人而不及吏公白執政請以吏付獄執政指其坐曰公即居此無為近名公正色曰必得吏乃止執政滋不恱故薦公使契丹欲因事罪之歐陽修上書引顔魯公使李希烈事留公不報
新字:公糾察在京刑獄時有用偽牒為僧者事覚乃堂吏為之開封按余人而不及吏公白執政請以吏付獄執政指其坐曰公即居此無為近名公正色曰必得吏乃止執政滋不恱故薦公使契丹欲因事罪之欧陽修上書引顔魯公使李希烈事留公不報
書き下し
公、在京の刑獄を糾察す。時に偽牒を用いて僧と爲る者有り。事覺れ、乃ち堂吏の之を爲すなり。開封、餘人を按じて吏に及ばず。公、執政に白し、吏を以て獄に付せんことを請う。執政其の坐を指して曰く、公は即ち此に居らん。名に近づくを爲す無かれと。公色を正して曰く、必ず吏を得て乃ち止まんと。執政滋ミ悅ばず。故に公を薦めて契丹に使いせしめ、事に因りて之を罪せんと欲す。歐陽修上書して、顔魯公の李希烈に使いする事を引き、公を留めんとするも報ぜられず。
現代語訳
富弼は都の刑獄を監察した。当時、偽の証明書を使って僧になった者があった。事が発覚すると、それは政事堂の書記がやったことであった。開封府はほかの者を取り調べたが、その書記には及ばなかった。富弼は執政に申し出て、その書記を獄に付すよう請うた。執政はその座を指して言った。「公はやがてここに座る人だ。名を売るような真似をするな」。富弼は顔つきを改めて言った。「必ずその書記を捕らえるまではやめません」。執政はますます不快になった。それで富弼を推薦して契丹への使者とし、事に事寄せて罪に落とそうとした。欧陽脩は上書して、顔真卿が李希烈のもとへ使いした故事を引き、富弼を留めるよう願ったが、返事はなかった。
解説
追及を止めさせる言葉が、脅しではなく助言の形をしています。**公はやがてここに座る人だ。名を売るような真似をするな。**将来の椅子を指しながら、いま得点を稼ぐなと言う。断り方は一行でした。**必ずその書記を捕らえるまではやめません。**そして報復の形が、この巻でいちばん恐ろしい。左遷でも処分でもありません。**富弼を推薦して契丹への使者とし、事に事寄せて罪に落とそうとした。**欧陽脩が引いた故事も同じ構図です。顔真卿は反乱者のもとへ使いに出され、殺されました。
この章句が説くこと
事覚れ乃ち堂吏の之を為すなり公は即ち此に居らん名に近づくを為す無かれ必ず吏を得て乃ち止まん故に公を薦めて契丹に使いせしめ事に因りて之を罪せんと欲す追及圧力
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修富公の亂兵を誅するを議するや、公時に河北に使いし、復た命を被りて權に鎮州を知す。既に力めて其の議を沮む。且つ曰く、脩鎮州に至らば必ず命に從わじと。富公已むを得ず遂に止む。是の時、小人の讒言已に入る。而して富公河北の兵を大閱し、升黜する所多し。譖する者因りて曰く、富弼は命を擅にし權を專らにし、自ら威福を作す。已に河北の軍情を收却せりと。是に於いて京師の禁軍も亟かに亦た大閱し、擢を升す所多し。而して富公歸りて國門に至るも入るを得ず、遂に罷めて鄆州を知す。向に若し遂に二千人を擅殺せば、命禍は何ぞ測る可けんや。然らば則ち公の一言は、特だ二千人の命を活かすのみならず、亦た富公を大禍より免れしむるなり。
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼公再び使いするに、國書と口傳の詞と同じからず。馳せ還りて奏して曰く、政府故らに此を爲し、臣を死に置かんと欲す。臣の死は惜しむに足らず。國事を奈何せんと。呂夷簡之を爭いて曰く、恐らくは是れ誤りならん。當に改め定めしむべしと。公益ミ辨論して平らかならず。仁宗、樞使晏殊に何如と問う。殊曰く、夷簡決して肯えて此を爲さじ。誠に恐らくは誤りのみと。公怒りて曰く、晏殊は姦邪なり。夷簡に黨して以て陛下を欺くと。公は晏の壻なり。其の忠直なること此くの如し。公力めて獻納の二字を爭う。還るに及びて、晏公已に納と稱せり。
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼寶元の初元、昊反く。公時に鄆州の通判たり。八事を陳ぶ。且つ言う、元昊使いを遣わして地を割かんことを求め、金幣を邀む。使者の部從・儀物は契丹の如くにして、詞甚だ倨る。此れ必ず元昊の腹心の謀臣、自ら行くを請う者なり。宜しく其の不意を出でて、之を都門に斬るべしと。又た言う、夏守彬は庸人なり。平時すら猶お當に用うべからず。而るに况んや艱難の際に、樞密と爲す可けんやと。議する者以爲えらく、宰相の器有りと。
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