宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
孰不見公莫如我先二聖忘巳惟公是式公亦無我惟民是度民曰樂哉既相司馬爾賈於途我耕於野士曰時哉既用君實我後子先時不可失公如麟鳳不鷙不摶羽毛畢朝雄狡率服為政一年疾病半之功則多矣百年之思知公於異識公於微匪公之思神考是懷天子萬年四夷來同薦於清廟神考之功
新字:孰不見公莫如我先二聖忘巳惟公是式公亦無我惟民是度民曰楽哉既相司馬爾賈於途我耕於野士曰時哉既用君実我後子先時不可失公如麟鳳不鷙不摶羽毛畢朝雄狡率服為政一年疾病半之功則多矣百年之思知公於異識公於微匪公之思神考是懐天子万年四夷来同薦於清廟神考之功
書き下し
孰か公を見ざらん。我より先なるは莫し。二聖は己を忘れ、惟だ公を是れ式る。公も亦た我無く、惟だ民を是れ度る。民曰く樂しいかな、既に司馬を相とす。爾は途に賈し、我は野に耕さん。士曰く時なるかな、既に君實を用う。我は後れ子は先んず、時は失う可からず。公は麟鳳の如く、鷙たず摶たず。羽毛畢く朝し、雄狡率いて服す。政を爲すこと一年、疾病之に半ばす。功は則ち多し。百年の思い。公を異に知り、公を微に識る。公の思いに匪ず、神考を是れ懷う。天子萬年、四夷來同す。清廟に薦む。神考の功。
現代語訳
誰が公を見なかったろう。われより先に見た者はない。二人の聖主はご自身を忘れて、ただ公を手本とされた。公もまた自分というものがなく、ただ民のことだけを量った。民は言った、楽しいことだ、司馬を宰相としたのだから。おまえは道で商いをし、われは野で耕そう。士は言った、時が来たのだ、君実を用いたのだから。われは後になり、あなたは先になる、時を失ってはならない。公は麒麟や鳳凰のようで、猛らず、打ちもしない。羽毛あるものはことごとく朝し、猛くずるい者も率いて服した。政を執ること一年、その半ばは病であった。功はそれでも多い。百年ののちまでの思いである。公を非常のときに知り、公を微かなときに識った。公を思うのではない、神宗をこそ懐うのだ。天子は万年、四方の夷も来て同じくする。清廟に薦める、神宗の功を。
解説
この章句が説くこと
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