宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
公貶死于雷詔還葬洛陽過公安民皆迎祭哭其喪斬竹挿地以掛紙錢焚之尋復生筍成林邦人神之號曰相公竹因立廟其旁
新字:公貶死于雷詔還葬洛陽過公安民皆迎祭哭其喪斬竹挿地以掛紙銭焚之尋復生筍成林邦人神之号曰相公竹因立廟其旁
書き下し
公、貶せられて雷に死す。詔して洛陽に還葬せしむ。公安を過ぐ。民皆な迎え祭りて其の喪を哭す。竹を斬りて地に挿し、以て紙錢を掛けて之を焚く。尋いで復た筍を生じて林と成る。邦人之を神とし、號して相公竹と曰う。因りて廟を其の傍に立つ。
現代語訳
公は流された先の雷州で死んだ。詔が下って洛陽へ帰葬させた。その柩が公安を通った。民はみな出迎えて祭り、その喪に哭した。竹を切って地に挿し、それに紙銭を掛けて焼いた。ほどなくその竹からまた筍が生えて林になった。土地の人はそれを神として、「相公竹」と呼んだ。そこでその傍らに廟を建てた。
解説
柩が通ったときの、民の弔い方を書いた条です。**竹を切って地に挿し、紙銭を掛けて焼いた。**その挿した竹から筍が生えて林になり、「相公竹」と呼ばれるようになりました。生きているうちに役所を建ててやり、それがもとで遠くへ流された、その同じ人々です。都で下された評価とは別の評価が、土地には残った。廟はその傍らに建っています。
この章句が説くこと
竹を斬りて地に挿し以て紙銭を掛けて之を焚く尋いで復た筍を生じて林と成る邦人之を神とし号して相公竹と曰う弔い人望追慕
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