宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
公為相作久旱喜雨詩斷句云須㬰慰滿三農望收歛神功寂似無人謂此真做出宰相事業也在北門重陽有詩云不羞老圃秋容淡且看寒花晚節香公居常謂保初節易保晚節難故晚節事事尤著力所立特全又作喜雪詩云危石盖深鹽虎重老枝擎重玉龍寒人謂公身雖在外自任以天下之重如此
新字:公為相作久旱喜雨詩断句云須㬰慰満三農望収歛神功寂似無人謂此真做出宰相事業也在北門重陽有詩云不羞老圃秋容淡且看寒花晩節香公居常謂保初節易保晩節難故晩節事事尤著力所立特全又作喜雪詩云危石盖深塩虎重老枝擎重玉竜寒人謂公身雖在外自任以天下之重如此
書き下し
公相と爲り、久旱喜雨の詩を作る。斷句に云う、須臾にして慰め滿たす三農の望み、收斂すれば神功寂として無きに似たりと。人謂う、此れ眞に宰相の事業を做し出だすなりと。北門に在り、重陽に詩有りて云う、羞じず老圃の秋容の淡きを、且く看よ寒花晩節の香と。公居常に謂う、初節を保つは易く、晩節を保つは難しと。故に晩節は事事に尤も力を著け、立つ所特に全し。又た喜雪の詩を作りて云う、危石は蓋い深し鹽虎の重き、老枝は擎げ重ねたり玉龍の寒きと。人謂う、公身は外に在りと雖も、自ら天下の重きを以て任ずること此くの如しと。
現代語訳
韓琦は宰相となり、「久旱喜雨」の詩を作った。その一節に言う。「わずかのあいだに、農の三つの望みを慰め満たした。おさめてしまえば、神わざのような功も、ひっそりとして無いかのようだ」。人は「これこそ本当に宰相の事業を成し遂げた者の言葉だ」と言った。北門にあったとき、重陽の日の詩に言う。「恥じることはない、老いた畑の秋の色が淡いことを。しばし見よ、寒菊の晩節の香りを」。韓琦はふだんから言っていた。「初めの節を保つのはたやすいが、終わりの節を保つのは難しい」。それゆえ晩年の身の処し方には事ごとに力を注ぎ、その立つところは特に全きものであった。また「喜雪」の詩を作って言う。「あやうい石は、塩の虎の重さのように深く覆われ、老いた枝は、玉の龍の冷たさを掲げ重ねている」。人は「韓琦は身は外にあるといえども、自ら天下の重さを引き受けていることが、このとおりである」と言った。
解説
この章句が説くこと
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