宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
太宗時一嵗大旱天子以為憂嘗輦過館中汎以問衆皆曰水旱天數也堯湯所毋奈何凖獨曰朝廷刑罰偏頗凡天旱為是發耳上怒起入禁中頃之召凖問所以偏頗狀凖曰願召兩府至前臣即言之有詔召兩府入凖乃言曰某子甲坐贓若干少爾罪乃至死參政王沔其弟淮盗所主財至千萬以上顧得不死刑罰非偏而何上顧問沔沔頓首謝即皆罷去其暮遂大雨上大喜以凖可用遂驟進
新字:太宗時一歳大旱天子以為憂嘗輦過館中汎以問衆皆曰水旱天数也堯湯所毋奈何凖独曰朝廷刑罰偏頗凡天旱為是発耳上怒起入禁中頃之召凖問所以偏頗状凖曰願召両府至前臣即言之有詔召両府入凖乃言曰某子甲坐贓若干少爾罪乃至死参政王沔其弟淮盗所主財至千万以上顧得不死刑罰非偏而何上顧問沔沔頓首謝即皆罷去其暮遂大雨上大喜以凖可用遂驟進
書き下し
太宗の時、一歳大いに旱す。天子以て憂いと為す。嘗て輦して館中を過ぐ。汎く以て衆に問う。皆な曰く、水旱は天數なり。堯・湯も奈何ともする毋き所なりと。凖獨り曰く、朝廷の刑罰偏頗なり。凡そ天旱は是が為に發するのみと。上怒りて起ちて禁中に入る。頃くして凖を召し、偏頗する所以の狀を問う。凖曰く、願わくは兩府を召して前に至らしめよ。臣即ち之を言わんと。詔有りて兩府を召し入る。凖乃ち言いて曰く、某子甲、贓に坐すること若干、少なきのみ。爾るに罪乃ち死に至る。參政王沔、其の弟淮、主る所の財を盗むこと千萬以上に至る。顧みて死せざるを得たり。刑罰、偏に非ずして何ぞと。上、顧みて沔に問う。沔頓首して謝す。即ち皆な罷め去る。其の暮、遂に大いに雨ふる。上大いに喜び、凖を以て用う可しとし、遂に驟かに進む。
現代語訳
太宗の時、ある年ひどい旱魃になった。天子はそれを憂えた。あるとき輦に乗って館を通りかかった。広く人々に尋ねた。みな言った。「水害や旱魃は天の定めです。堯や湯王でもどうにもできないものです」。寇準だけが言った。「朝廷の刑罰が偏っております。およそ天の旱は、そのために起こるのです」。帝は怒って立ち上がり、奥へ入った。しばらくして寇準を召し、どう偏っているのかを尋ねた。寇準は言った。「どうか二府の者を御前へ召してください。臣はそのうえで申し上げます」。詔が下って二府が呼び入れられた。寇準はそこで言った。「某という者は不正な蓄財が問われましたが、その額はわずかです。それなのに罪は死にまで至りました。参知政事の王沔は、その弟の王淮が管理していた財を盗むこと千万以上に及びました。それでいて死を免れております。刑罰が偏っているのでなくて何でしょう」。帝は振り返って王沔に問うた。王沔は頭を下げて詫びた。そこでみな罷免された。その日の夕方、はたして大雨が降った。帝は大いに喜び、寇準は用いるべきだとして、急に引き上げた。
解説
この章句が説くこと
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