宋名臣言行録 / 後集巻九・曾肇
時有陳大中至正之論者以元祐紹聖均為有失魯公稱上命命公推此意為詔諭天下公見上言陛下欲建皇極以消弭朋黨須先分君子小人賞善罰惡不可偏廢開說甚至已而詔自中出上命魯公相公適視草禁中因舉數事為戒所謂休息百姓總核庶工甄叙材良敦奬正直澄清風俗振肅紀綱退與魯公言未嘗不丁寧反覆以此也本朝學士弟草兄制惟韓氏與公無他比也士論榮之
新字:時有陳大中至正之論者以元祐紹聖均為有失魯公称上命命公推此意為詔諭天下公見上言陛下欲建皇極以消弭朋党須先分君子小人賞善罰悪不可偏廃開説甚至已而詔自中出上命魯公相公適視草禁中因舉数事為戒所謂休息百姓総核庶工甄叙材良敦奨正直澄清風俗振粛紀綱退与魯公言未嘗不丁寧反覆以此也本朝学士弟草兄制惟韓氏与公無他比也士論栄之
書き下し
時に大中至正の論を陳ぶる者有り。元祐・紹聖を以て均しく失有りと爲す。魯公上の命を稱し、公に命じて此の意を推して詔と爲して天下に諭さしむ。公上に見えて言う、陛下皇極を建てて朋黨を消弭せんと欲せば、須らく先ず君子小人を分かち善を賞し惡を罰すべし。偏廢す可からずと。開説甚だ至る。已にして詔中より出づ。上魯公に相たるを命じ、公適ま草を禁中に視る。因りて數事を舉げて戒めと爲す。所謂百姓を休息し、庶工を總核し、材良を甄叙し、正直を敦奬し、風俗を澄清し、紀綱を振肅す。退きて魯公と言うに、未だ嘗て丁寧反覆して此を以てせずんばあらず。本朝の學士、弟の兄の制を草するは惟だ韓氏と公とのみ。他に比無きなり。士論之を榮とす。
現代語訳
当時、大中至正の論を述べる者があった。元祐も紹聖もひとしく失があったとするものである。曾布は天子の命として、公にこの趣旨をおし広めて詔とし、天下に諭させようとした。公は天子にまみえて言った。「陛下が皇極を立てて朋党を消し止めようとされるなら、まず君子と小人を分け、善を賞し悪を罰さねばなりません。どちらか一方をやめてよいものではありません」。説き明かすことはたいそう行き届いた。やがて詔が宮中から出た。天子は曾布に宰相を命じ、公はちょうど禁中で草稿を見ていた。そこで数件を挙げて戒めとした。いわゆる、百姓を休ませ、多くの職務を総べて調べ、才ある者を選び出し、正直な者を厚く励まし、風俗を澄ませ、綱紀を引き締める、である。退がって曾布と話すとき、いつも繰り返し丁寧にこのことを説かないことはなかった。本朝の学士で、弟が兄の任命の制を起草したのは、ただ韓氏と公だけである。ほかに例がない。士の議論はこれを栄誉とした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「楊子は我が為にするを取る。一毛を抜きて天下を利するも、為さざるなり。墨子は兼愛す。頂を摩し踵に放るも、天下を利するは之を為す。子莫は中を執る。中を執るは之に近しと為すも、中を執りて權すること無ければ、猶ほ一を執るなり。一を執るに惡む所の者は、其の、道を賊うが為なり。一を舉げて百を廢すればなり。」
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「仲尼は已甚だしきを為さざる者なり。」
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孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「伯夷は其の君に非ざれば事えず。其の友に非ざれば友とせず。惡人の朝に立たず。惡人と言(ものいう)わず。惡人の朝に立ち、惡人と言うは、朝衣朝冠を以て塗炭に坐するが如し。惡を惡むの心を推すに、ᰰ人と立ちて、其の冠正しからざれば、望望然として之を去り、將に浼(けがす)されんとするが若く思う。是の故に諸侯其の辭命を善くして至る者有りと雖も、受けざるなり。受けざる者は、是れも亦た就くを屑しとせざるのみ。柳下惠は汙君を羞ぢず、小官を卑しとせず。進んで賢を隱さず、必ず其の道を以てす。遺佚せられて怨みず、阨窮して憫えず。故に曰く、『爾は爾為り、我は我為り。我が側に袒裼裸裎すと雖も、爾焉くんぞ能く我を浼さんや。』故に由由然として之と偕にして自ら失わず。援(ひく)いて之を止むれば止まる。援いて之を止むれば止まる者は、是れ亦た去るを屑しとせざるのみ。」孟子曰く、「伯夷は隘なり。柳下惠は不恭なり。隘と不恭とは、君子由らざるなり。」
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