宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
哲宗即位宣仁后埀簾同聽政羣賢畢集於朝專以忠厚不擾為治和戎偃武愛民重榖庶㡬嘉祐之風矣然雖賢者不免以類相從故當時有洛黨川黨朔黨之號洛黨者以程正叔為領袖朱光庭賈易為羽翼川黨者以蘇子瞻為領袖吕陶等為羽翼朔黨者以劉摯梁燾王巖叟劉安世為領袖羽翼尤衆
新字:哲宗即位宣仁后埀簾同聴政羣賢畢集於朝専以忠厚不擾為治和戎偃武愛民重榖庶㡬嘉祐之風矣然雖賢者不免以類相従故当時有洛党川党朔党之号洛党者以程正叔為領袖朱光庭賈易為羽翼川党者以蘇子瞻為領袖呂陶等為羽翼朔党者以劉摯梁燾王巖叟劉安世為領袖羽翼尤衆
書き下し
哲宗即位し、宣仁后簾を垂れて同に政を聽く。群賢畢く朝に集まる。專ら忠厚不擾を以て治と爲し、戎を和し武を偃せ、民を愛し穀を重んず。庶幾わくは嘉祐の風なり。然れども賢者と雖も類を以て相い從うを免れず。故に當時洛黨・川黨・朔黨の號有り。洛黨は程正叔を以て領袖と爲し、朱光庭・賈易を羽翼と爲す。川黨は蘇子瞻を以て領袖と爲し、呂陶等を羽翼と爲す。朔黨は劉摯・梁燾・王巖叟・劉安世を以て領袖と爲し、羽翼尤も衆し。
現代語訳
哲宗が即位し、宣仁太后が簾を垂れてともに政を聴いた。賢者たちがことごとく朝廷に集まった。もっぱら誠実で民を騒がせないことを治めるすじとし、異民族と和し軍事を収め、民を愛し穀物を重んじた。ほぼ嘉祐年間の気風であった。しかし賢者であっても、同じ類の者どうしで従い合うことを免れなかった。だから当時、洛党・川党・朔党という呼び名があった。洛党は程頤を領袖とし、朱光庭・賈易を羽翼とした。川党は蘇軾を領袖とし、呂陶らを羽翼とした。朔党は劉摯・梁燾・王巌叟・劉安世を領袖とし、羽翼はとりわけ多かった。
解説
理想的な布陣が整った時期の記述です。**賢者たちがことごとく朝廷に集まった。**政策も申し分ありません。そのうえで、この書は一行だけ条件を付けます。**しかし賢者であっても、同じ類の者どうしで従い合うことを免れなかった。**能力や志ではなく、出身と学統で三つに割れました。洛、川、朔。それぞれの領袖として並ぶ名は、この巻までに一人ずつ立てられてきた人々です。よい人ばかり集めても割れる、という観察になっています。
この章句が説くこと
哲宗即位し宣仁后簾を垂れて同に政を聴く群賢畢く朝に集まる専ら忠厚不擾を以て治と為し戎を和し武を偃す然れども賢者と雖も類を以て相い従うを免れず当時洛党・川党・朔党の号有り党派賢者
関連する章句
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呂氏春秋・贊能①賢者は人に善くするに人を以てし、中人は事を以てし、不肖者は財を以てす。十の良馬を得るは、一の伯樂を得るに若かず。十の良劍を得るは、一の歐冶を得るに若かず。地千里を得るは、一の聖人を得るに若かず。舜、皋陶を得て、舜、之を受く。湯、伊尹を得て夏民を有ち、文王、呂望を得て殷商を服す。夫れ聖人を得れば、豈に里數有らんや。
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呂氏春秋・長利④愚庳の民、其の賢者の慮を為すも、亦た猶ほ此のごときなり。固より妄りに誹訾す。豈に悲しからずや。」
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孫子・九変篇是の故に智者の慮は、必ず利害に雑う。利に雑えて務め信なる可きなり。害に雑えて患い解く可きなり。
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呂氏春秋・先識①凡そ國の亡ぶるや、有道なる者必ず先づ去るは、古今一なり。地は城に從い、城は民に從い、民は賢に從う。故に賢主は賢者を得て民得られ、民得られて城得られ、城得られて地得らる。夫れ地得らるるとは、豈に必ずしも足其の地に行きて、人ごとに其の民に説かんや。其の要を得るのみ。
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呂氏春秋・首時⑤飢馬厩に盈ちて嗼然たるは、未だ芻を見ざればなり。飢狗窖に盈ちて嗼然たるは、未だ骨を見ざればなり。骨と芻とを見れば、動くこと禁ず可からず。亂世の民嗼然たるは、未だ賢者を見ざればなり。賢人を見れば則ち往くこと止む可からず。往くとは其の形に非ず、心を之れ謂うか。齊は東帝を以て天下に困しみ、而して魯は徐州を取れり。邯鄲は壽陵を以て萬民に困しみて、而して衛は繭氏を取れり。魯・衛の細を以て、皆志を大國に得たるは、其の時に遇えばなり。故に賢主秀士の黔首を憂えんと欲する者は、亂世之に當たれり。天は再び與えず、時は久しく留まらず。能は兩つながら工ならず、事之に當たるに在り。
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呂氏春秋・報更①國、小なりと雖も、其の食は以て天下の賢者を食うに足り、其の車は以て天下の賢者を乘するに足り、其の財は以て天下の賢者を禮する足り、天下の賢者と徒と為る。此れ文王の王たる所以なり。今未だ王たること能わずと雖も、其の以て安きを為すは、亦た易からずや。此れ趙宣孟の免れたる所以なり、周の昭文君の顯れし所以なり、孟嘗君の荊の兵を卻けたる所以なり。古の大いに功名を立てたるものと、國を安んじ身を免れたる者とは、其の道他無し。其れ必ず此に之れ由るなり。堪士は驕恣を以て屈す可からず。