宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
修復進曰仁宗在位嵗久德澤在人人所信服故一日晏駕天下禀命奉戴嗣君無一人敢異同者今太后一婦人臣等五六措大爾非仁宗遺意天下誰肯聽從太后黙然久之而罷
新字:修復進曰仁宗在位歳久徳沢在人人所信服故一日晏駕天下禀命奉戴嗣君無一人敢異同者今太后一婦人臣等五六措大爾非仁宗遺意天下誰肯聴従太后黙然久之而罷
書き下し
脩復た進みて曰く、仁宗位に在ること歳久しく、德澤人に在り、人の信服する所なり。故に一日晏駕するや、天下命を稟け嗣君を奉戴し、一人として敢えて異同する者無し。今太后は一婦人、臣等は五六の措大のみ。仁宗の遺意に非ずんば、天下誰か肯えて聽從せんやと。太后黙然たること之を久しくして罷む。
現代語訳
欧陽脩はさらに進み出て言った。「仁宗は位にあること年久しく、その恵みは人々に残り、人の信じ服するところです。だからひとたび崩御されると、天下は命を受けて後嗣の君を戴き、一人として異を唱える者がありませんでした。いま太后はひとりの婦人、臣らは五、六人の書生にすぎません。仁宗のご遺志でないなら、天下の誰が従いましょうか」。太后は黙り込み、しばらくしてその場は終わった。
解説
廃立ができない理由を、正しさではなく力の実際で説いた条です。まず、なぜ今の継承が通ったのかを言います。**仁宗は位にあること年久しく、その恵みは人々に残っていた。だから一人として異を唱える者がなかった。**通ったのは仁宗の重みであって、宮中の意向ではない。だから次の一行が効きます。**いま太后はひとりの婦人、臣らは五、六人の書生にすぎません。**自分たちまで含めて軽く数えてみせた。**仁宗のご遺志でないなら、天下の誰が従いましょうか。**太后は黙り込みました。
この章句が説くこと
仁宗位に在ること歳久しく徳沢人に在り人の信服する所なり天下命を稟け嗣君を奉戴し一人として敢えて異同する者無し今太后は一婦人臣等は五六の措大のみ仁宗の遺意に非ずんば天下誰か肯えて聴従せん権威遺志
関連する章句
-
二宮翁夜話・巻之五老中某侯(ぼうこう)の家臣、市中にて云々の横行あり、横山平太之を誹(そし)る、翁(おきな)曰(いわ)く、執政は政事(まつりごと)の出る処、国家を正(ただ)しうして、不正無からしむるの職(しょく)なるに其家僕(かぼく)其威(い)をかりて、不正を行ふ者往々あり、譬(たと)へば町奉行の奴僕(ぬぼく)等、両国浅草等に出る、予が法皮(はっぴ)を見よなどゝ罵(ののし)るに同じ、国を正しうする者、家を正しうする事能(あた)はざるが如しといへども、是家政の届(とど)かざるにあらず、勢(いきおい)の然らしむる物なり、彼(か)の河水を見よ、水の卑(ひ)きに下るの勢、政事の国家に行はれて置郵伝命(ちゆうでんめい)より速(すみやか)なるが如し、而(しか)て水流急にして、或は岩石に当り、石倉に当る処、急流変(へん)じて逆流となる物なり、夫(それ)老中の権威(けんい)は、譬へば急流の水勢防(ふせ)ぐべからざるに同じ、家僕等法を犯す者あるは、急流の当る処逆流となるが如し、是自然に然(しか)らざるを得ざる物なり、咎(とが)むる事勿(なか)れ。
-
論語・八佾篇三家者、雍を以て徹す。子曰く、『相維(かな)い辟公、天子穆穆(ぼくぼく)。何をか三家の堂に取りてか。』
-
論語・子張篇子貢曰く、君子の過ちや、日月の食の如し。過つや、人皆之を見る。更むるや、人皆之を仰ぐ。
-
戦国策・荊宣王問群臣荊の宣王、群臣に問いて曰わく、「吾聞く、北方の昭奚恤を畏るるは、果たして誠に何如ぞ。」群臣、対うる莫し。江一対えて曰わく、「虎、百獣を求めて之を食らう。狐を得たり。狐曰わく、『子敢えて我を食らう無かれ。天帝、我をして百獣に長たらしむ。今子我を食らわば、是れ天帝の命に逆らうなり。子我を以て信ならずと為さば、吾子の為に先行せん、子我が後に随いて、百獣の我を見て敢えて走らざるを観よ。』虎以て然りと為し、故に遂に之と行く。獣之を見て皆走る。虎、獣の己を畏れて走るを知らざるなり、以て狐を畏るると為すなり。今王の地方五千里、帶甲百万にして、専ら之を昭奚恤に属す。故に北方の奚恤を畏るるは、其の実王の甲兵を畏るるなり、猶お百獣の虎を畏るるがごときなり。」
-
論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
-
『韓非子』五蠹第四十九民は固より勢いに服す、能く義に懐くもの寡し。・・・民固より愛に驕り、威に聴くけばなり。