宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
真宗之次澶淵也一日語公曰今敵騎未退而天雄軍截在賊後萬一陷沒則河朔皆敵境也何人可為朕守魏公曰當此之際無方畧可展古人有言智將不如福將臣觀參政王欽若福禄未艾宜可為守于是即時進殿出勑退召欽若諭以上意授勑俾行欽若茫然自失未及有言公遽曰主上親征非臣子辭難之日參政為國柄臣當體此意馹騎已集仍放朝辭便宜就塗身乃安也遽酌大白飲之命曰上馬盃欽若驚懼不敢辭飲訖拜别公答拜曰參政勉之回日即為同列也欽若馳入魏則戎敵滿野無以為計但屯塞四門終日危坐越數日敵退乃召為次相或云王公數進疑辭于上前故公因事出之以成勝敵之績耳
新字:真宗之次澶淵也一日語公曰今敵騎未退而天雄軍截在賊後万一陥没則河朔皆敵境也何人可為朕守魏公曰当此之際無方略可展古人有言智将不如福将臣観参政王欽若福禄未艾宜可為守于是即時進殿出勑退召欽若諭以上意授勑俾行欽若茫然自失未及有言公遽曰主上親征非臣子辞難之日参政為国柄臣当体此意馹騎已集仍放朝辞便宜就塗身乃安也遽酌大白飲之命曰上馬盃欽若驚懼不敢辞飲訖拝別公答拝曰参政勉之回日即為同列也欽若馳入魏則戎敵満野無以為計但屯塞四門終日危坐越数日敵退乃召為次相或云王公数進疑辞于上前故公因事出之以成勝敵之績耳
書き下し
真宗の澶淵に次するや、一日、公に語りて曰く、今、敵騎未だ退かずして天雄軍は截かれて賊の後に在り。萬一陷沒せば則ち河朔皆な敵境ならん。何人か朕の為に魏を守る可きと。公曰く、此の際に當たり、方畧の展ぶ可き無し。古人言える有り、智將は福將に如かずと。臣、參政王欽若を觀るに、福禄未だ艾えず。宜しく守と為す可しと。是に於て即時に殿に進み、勑を出だす。退きて欽若を召し、諭すに上意を以てし、勑を授けて行かしむ。欽若茫然自失し、未だ言う有るに及ばず。公遽かに曰く、主上親征したまう。臣子の難を辭するの日に非ず。參政は國の柄臣なり。當に此の意を體すべし。馹騎已に集まる。仍りて朝辭を放ち、便宜に塗に就け。身、乃ち安からんと。遽かに大白を酌みて之を飲ましめ、命じて上馬盃と曰う。欽若驚懼して敢えて辭せず。飲み訖わりて拜别す。公答拜して曰く、參政勉めよ。回る日、即ち同列と為らんと。欽若馳せて魏に入れば、則ち戎敵野に滿つ。以て計を為す無く、但だ四門を屯塞し、終日危坐す。數日を越えて敵退く。乃ち召して次相と為す。或いは云う、王公數々疑辭を上前に進む。故に公、事に因りて之を出だし、以て敵に勝つの績を成すのみと。
現代語訳
真宗が澶淵に留まっていたとき、ある日、公に言った。「いま敵の騎兵はまだ退かず、天雄軍は切り離されて敵の後方にある。万一陥落すれば、河朔はみな敵地となる。誰が私のために魏を守れるか」。公は言った。「この際、めぐらすべき方策はありません。古人の言葉に、智将は福将に及ばないとあります。臣が参知政事の王欽若を見ますに、福禄がまだ尽きておりません。守りに立てるべきです」。そこですぐに殿に進んで勅を出させた。退出して王欽若を呼び、上意を伝え、勅を授けて行かせた。王欽若は茫然と我を失い、まだ言葉を出す間もなかった。公はすかさず言った。「主上が親征しておられる。臣下が難を辞退してよい日ではない。参政は国の要となる臣だ。この意を体すべきである。早馬はもう揃っている。そのまま朝廷への辞去の挨拶は省いて、都合よく道につかれよ。そのほうが身が安らかだ」。すぐさま大杯に酒を注いで飲ませ、これを「上馬盃」と名づけた。王欽若は驚き恐れて辞退できなかった。飲み終えて別れの礼をした。公は答礼して言った。「参政、努められよ。帰る日には、すぐまた同僚となろう」。王欽若が馬を駆って魏に入ると、敵が野に満ちていた。策の立てようがなく、ただ四つの門を閉ざして、終日じっと坐っていた。数日たって敵が退いた。そこで召し返して次席の宰相とした。ある人は言う、王欽若はたびたび御前で疑わしい言葉を出していた。だから公は事にかこつけて追い出し、それによって敵に勝つ功を成したのだ、と。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・談道・人事は就ち是れ天命人事は就ち是れ天命なり。
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『晏子春秋』諫上・景公愛嬖妾隨其所欲晏子諫翟王子羨景公に臣たり、重駕を以てす。公之を観て説ばず。嬖人嬰子之を観んと欲す。公曰く、「晏子の寝病するに及ばん」と。囿中の台上に居りて以て之を観る。嬰子之を説び、因りて之が為に請いて曰く、「厚く之に禄せよ」と。公許諾す。晏子病を起こして公に見ゆ。公曰く、「翟王子羨の駕、寡人甚だ之を説ぶ。請う之をして示さしめんか」と。晏子曰く、「駕御の事、臣は職として焉に無し」と。公曰く、「寡人一たび之を楽しみ、是れ之に禄するに万鐘を以てせんと欲す、其れ足るか」と。対えて曰く、「昔、衛士東野の駕するや、公之を説び、嬰子説ばず、公因りて説ばず、遂に観ず。今、翟王子羨の駕するや、公説ばず、嬰子説び、公因りて之を説ぶ。請を為し、公之を許す、則ち是れ婦人の制を為すなり。且つ人を治むるを楽しまず、馬を治むるを楽しみ、賢人に厚く禄せず、禦夫に厚く禄す。昔者、先君桓公の地は今より狭きに、法治を修め、政教を広め、以て諸侯に霸たり。今君は、一諸侯も能く親しむ無く、歳凶にして年饑え、道途の死者相い望む。君は此れを憂恥せず、惟だ耳目の楽しみを図り、先君の功烈を修めず、惟だ駕御の伎を飾る、則ち公の民を顧みずして国を忘るること甚だしきなり。
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『春秋左氏伝』僖公二十七年 蒍賈、賀さず二十七年春、杞の桓公來朝す。夷禮を用ゐる、故に「子」と曰ふ。公杞を卑しむ、杞共ならざればなり。夏、齊の孝公卒す。齊の怨み有れども、喪紀を廢せず、禮なり。秋、杞に入る、無禮を責むるなり。楚子將に宋を圍まんとし、子文をして兵を睽に治めしむ。終朝にして畢り、一人をも戮せず。子玉復た兵を蒍に治む。終日にして畢り、七人を鞭ち、三人の耳を貫く。國老皆子文を賀す、子文之に酒を飲ましむ。蒍賈尚ほ幼し、後れて至り、賀せず。子文之を問ふ。對へて曰く、「賀する所を知らず。子の政を子玉に傳ふるや、曰く、『以て國を靖んずるなり』と。諸を內に靖んじて諸を外に敗らば、獲る所幾何ぞ。子玉の敗るるは、子の舉なり。舉げて以て國を敗らば、將た何をか賀せん。子玉は剛にして無禮、以て民を治むべからず。三百乘を過ぎば、其れ以て入る能はざらん。苟も入りて賀すとも、何の後るることか之れ有らん」と。
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『韓非子』説疑第四十四従ひて之を罰す。是を以て賢良遂に進みて姦邪並びに退く、故に一挙して能く諸侯を服す。其の記に在りて曰く、堯に丹朱有り、而して舜に商均有り、啓に五観有り、商に太甲有り、武王に管・蔡有り。五王の誅する所の者は、皆父兄子弟の親なり、而して殺して其の身を亡ぼし、其の家を残破する所の者は何ぞや。其の国を害し民を傷つけ法類を敗るを以てなり。其の挙ぐる所を観れば、或いは山林藪沢巌穴の間に在り、或いは囹圄緤紲纏索の中に在り、或いは割烹芻牧飯牛の事に在り。然れども明主は其の卑賤を羞ぢざるなり、其の能の以て法を明らかにし、国を便にし民を利すべきを以て、従ひて之を挙げ、身安く名尊し。乱主は則ち然らず、
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『墨子』尚同中今、王公大人の刑政を為すは則ち此を舉ぐ。政、以て便辟を屬し、父兄故舊に宗りて、以て左右と為し、置きて以て正長と為す。民、上の正長を置くの、正しく以て民を治むるに非ざるを知る。是を以て皆な比周隠匿して、肯えて其の上に尚同すること莫し。是の故に上下、義を同じくせず。若し茍くも上下、義を同じくせざれば、賞譽も以て善を勸むるに足らずして、刑罰も以て暴を沮むるに足らず。
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『韓非子』外儲説右下第三十五是に於て燕王因りて国を挙げて之に属す、子之大いに重し。一に曰く、潘寿は、隠者なり。燕人をして之を聘せしむ。潘寿燕王に見えて曰く、「臣子之の益の如くならんことを恐るるなり」と。王曰く、「何の益ぞや」と。対へて曰く、「古者禹死し、将に天下を益に伝へんとす、啓の人因りて相与に益を攻めて啓を立つ。今王子之を信愛し、将に国を子之に伝へんとす、太子の人尽く印を懐き、子之の人為る者一人の朝廷に在る者無し。王不幸にして羣臣を弃てなば、則ち子之も亦益ならん」と。王因りて吏の璽を収め、三百石より以上皆之を子之に効す、子之大いに重し。夫れ人主の鏡照とする所以の者は、諸侯の士徒なり、今諸侯の士徒は皆私門の党なり。人主の自ら浅娋する所以の者は、巌穴の士徒なり、今巌穴の士徒は皆私門の舎人なり。是れ何ぞや。奪褫の資子之に在ればなり。故に呉章曰く、「人主は佯りて人を憎愛せず。佯りて人を愛すれば、復た憎むを得ざるなり。佯りて人を憎めば、復た愛するを得ざるなり」と。一に曰く、燕王国を子之に伝へんと欲するや、之を潘寿に問ふ、対へて曰く、「禹益を愛して天下を益に任じ、已にして啓の人を以て吏と為す。老ゆるに及びて、啓を以て天下に任ずるに足らずと為す、故に天下を益に伝ふ、而して勢重尽く啓に在るなり。已にして啓友党と益を攻めて之が天下を奪ふ、是れ禹名は天下を益に伝へて、実は啓をして自ら之を取らしむるなり。此れ禹の堯・舜に及ばざること明らかなり。今王之を子之に伝へんと欲す、而して吏太子の人に非ざる者無きなり、是れ名は之を伝へて実は太子をして自ら之を取らしむるなり」と。燕王乃ち璽を収め、三百石より以上皆之を子之に効す、子之遂に重し。

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