宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
公臨大節處危疑茍利國家知無不為若湍水之赴深壑無所忌憚或諌曰公所為如是豈惟身不自保恐家無處所殆非明哲之所尚公嘆曰為人臣者盡力以事其君死生以之頋事之是非何如爾至於成敗天也豈可豫憂其不成遂輟不為哉聞者愧服
新字:公臨大節処危疑苟利国家知無不為若湍水之赴深壑無所忌憚或諌曰公所為如是豈惟身不自保恐家無処所殆非明哲之所尚公嘆曰為人臣者尽力以事其君死生以之頋事之是非何如爾至於成敗天也豈可予憂其不成遂輟不為哉聞者愧服
書き下し
公、大節に臨み危疑に處り、苟くも國家に利あらば、知りて爲さざる無し。湍水の深壑に赴くが若く、忌憚する所無し。或るひと諫めて曰く、公の爲す所是くの如くんば、豈に惟だ身の自ら保たざるのみならんや。恐らくは家に處る所無からん。殆ど明哲の尚ぶ所に非ずと。公嘆じて曰く、人臣爲る者は、力を盡くして以て其の君に事え、死生之を以てす。顧みるは事の是非何如のみ。成敗に至っては天なり。豈に豫め其の成らざるを憂えて、遂に輟めて爲さざる可けんやと。聞く者愧服す。
現代語訳
韓琦は大きな節目に臨み、危うく疑わしい場に身を置いても、いやしくも国家の利になることであれば、知っていてやらないことはなかった。激流が深い谷に流れ落ちるように、はばかるところがなかった。ある人が諫めて言った。「あなたのなさりようがこのようでは、ご自身の身が保てないだけではありません。おそらくご一家の身の置きどころもなくなりましょう。これはとても賢明な人の尊ぶやり方ではありません」。韓琦は嘆じて言った。「人の臣たる者は、力を尽くして君に仕え、生き死にをそれに賭ける。顧みるのは、その事が正しいかどうかだけだ。成るか成らぬかに至っては天である。どうしてあらかじめ成らないことを心配して、それでやめてしまってよいものか」。聞いた者は恥じ入って服した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』定公四年 子常、速戦に走る夏、蔡沈を滅ぼす。秋、楚沈の故の為に蔡を圍む。伍員吳の行人と為りて以って楚を謀る。楚の郤宛を殺すや、伯氏の族出づ。伯州犁の孫嚭、吳の大宰と為りて以って楚を謀る。楚は昭王位に即きてより、歲として吳の師有らざるは無し。蔡侯之に因り、其の子乾と其の大夫の子とを以って吳に質と為す。冬、蔡侯・吳子・唐侯、楚を伐つ。舟を淮汭に舍て、豫章より楚と漢を夾む。左司馬戌子常に謂ひて曰く、「子漢に沿ひて之と上下せよ。我方城の外を悉くして以って其の舟を毀ち、還りて大隧・直轅・冥阨を塞がん。子漢を濟りて之を伐て。我後より之を擊たば、必ず大いに之を敗らん」と。既に謀りて行く。武城黑子常に謂ひて曰く、「吳は木を用ゐ、我は革を用ゐる。久しくす可からざるなり。速やかに戰ふに如かず」と。史皇子常に謂ふ、「楚人子を惡みて司馬を好む。若し司馬吳の舟を淮に毀ち、城口を塞ぎて入らば、是れ獨り吳に克つなり。子必ず速やかに戰へ。然らずんば免れず」と。乃ち漢を濟りて陳す。小別より大別に至る。三たび戰ふ。子常不可なるを知り、奔らんと欲す。史皇曰く、「安くして其の事を求め、難くして之を逃る、將た何れの所にか入らん。子必ず之に死せよ。初めの罪必ず盡く說(と)かれん」と。
-
『晏子春秋』問下・叔向問人何以則可保身晏子對以不要幸/曾子問不諫上不顧民以成行義者晏子對以何以成也叔向、晏子に問いて曰く、「人何を以てせば則ち其の身を保つと謂う可きか」と。晏子対えて曰く、「詩に曰く、『既に明にして且つ哲、以て其の身を保つ、夙夜懈る匪く、以て一人に事う』と。庶幾せず、幸を要めず、其の難きを先にして而る後に幸あり、之を得るは其の所を得たるの時、之を失うは其の罪に非ず。其の身を保つと謂う可し」と。曾子、晏子に問いて曰く、「古者、嘗て上は上を諫めず、下は民を顧みず、退きて山谷に処り、以て義を行うを成す者有りしか」と。晏子対えて曰く、「其の身に能無きを察して、諫めざるを欲せざるに托す、之を誕意と謂う。上惛乱し、徳義行われず、而して邪辟朋党あり、賢人用いられず、士も亦其の行いを易えずして、邪に従いて以て進むを求む、故に隠るる有り隠れざる有り。其の行いは法士か。乃ち夫れ上を議すれば則ち取らざるなり。夫れ上は上を諫めず、下は民を顧みず、退きて山谷に処る、嬰は其の何を以て義を行うを成す者と為すかを識らず」と。
-
『春秋左氏伝』昭公元年 叔孫、帯を与へず季武子莒を伐ち、鄆を取る。莒人會に告ぐ。楚晉に告げて曰く、「盟を尋ねて未だ退かざるに、魯莒を伐ち、齊盟を瀆す。請ふ其の使を戮せん」と。樂桓子趙文子に相たり。貨を叔孫に求めんと欲して、之が為に請ふ。帶を請はしむるも與へず。梁其脛曰く、「貨は以て身を藩る。子何ぞ愛しむや」と。叔孫曰く、「諸侯の會は、社稷を衛るなり。我貨を以て免れば、魯必ず師を受けん。是れ之に禍するなり。何の衛ることか之を為さん。人の牆有るは、以て惡を蔽ふなり。牆の隙壞るるは、誰の咎ぞや。衛りて之を惡しくせば、吾又焉より甚だし。季孫を怨むと雖も、魯國何の罪かあらん。叔出でて季處るは、自りて來る有り。吾又誰をか怨みん。然れども鮒や賄なり。與へずんば已まざらん」と。使者を召し、裳帛を裂きて之に與へて曰く、「帶は其れ褊し」と。趙孟之を聞きて曰く、「患ひに臨みて國を忘れざるは、忠なり。難を思ひて官を越えざるは、信なり。國を圖りて死を忘るるは、貞なり。謀るに三者を主とするは、義なり。是の四者有り、又戮すべけんや」と。乃ち諸を楚に請ひて曰く、「魯罪有りと雖も、其の執事は難を辟けず。
-
葉隠・聞書第一役儀(やくぎ)を危(あぶ)なきと思うは、すくたれ者なり。外(ほか)の事、私(わたくし)の事にて仕損(しそん)ずるとこそ辱(はじ)にてもあるべし。その事に備(そな)わりたる身なれば、その事にて仕損ずるは定まりたることなり。不調法(ぶちょうほう)にて何と相勤(あいつと)むべきやとの心遣(こころづか)いは、あるべき事なり。
-
葉隠・聞書第二今時(いまどき)の若き者、女風(おんなふう)になりたがるなり。結構者(けっこうもの)、人愛(じんあい)の有る人、物を破らぬ人柔(やわ)らかなる人と云う様なるを、よき人と取りはやす時代になりたる故(ゆえ)、矛手(ほこて)延びず、突つ切(き)れたる事成らぬなり。第一は身上(しんしょう)を抱留(かかえと)むる合黙(あいもく)が強き故、大事と計り思い、心縮(ちぢ)まると見えたり。其方(そなた)も我が知行にてなく、親の苦労して取立てられたる物を、養子に来て崩し候てはならぬことと、大事に思わるべきが、それは世上(せじょう)の風(ふう)なり。我等(われら)が所存は格別なり。奉公する時分、身上の事などは何とも思わざりしなり。素(もと)より主人のものなれば、大事がり惜しむべき様(よう)無き事なり。我等生(い)くる世の中に、奉公方(ほうこうかた)にて浪人切腹して見すれば本望至極(ほんもうしごく)なり。奉公人の打留(うちど)めは此の二箇条に極(きわ)まりたるものなり。其の中きたな崩れは無念なり。おくれ・不甲斐(ふがい)・私慾(しよく)・人の害になる事などは有るまじき事なり。其の外にては崩すを本望と思うべし。斯くの如く落着くと、其の儘矛手延びて働かれ、勢(いきおい)格別なり。
-
『講孟余話』盡心下 首章然るに頃日一友あり、余を諷して云く、「宜しく野山獄の周旋をば止むべし。然らずんば人将に云はんとす、寅二罪人に比周すと」。余此の言を聞き激怒に堪へず、直ちに頭髪上りて刺す。噫、誠に不仁の甚だしきなるかな。蓋し其の人の意に謂へらく、寅二幸ひにして獄を脱す、若し或いは謗議に係り、再び獄に陥らば無益の事なり、己が身さへ獄を脱すれば、豈に他人を恤ふるに遑あらんやと。是れ世俗身家を惜しみ妻子を顧みるの常態にして、何ぞ与に伊尹の志を論ずるに足らんや。若し野山獄の諸囚皆繋を脱すべきの理なくして、余枉げて罪人に比周し、此の妄挙をなさば、一友の言誠に当たれり。然れども諸囚繋を脱すべきの理は、願はくは余が著す所の諸稿を熟覧せよ、其の妄挙に非ざるを知るに足らん。夫れ衆生済度の為の草鞋掛けの苦労は親鸞猶能く憚らず、外道懾服の為の斬首遠流は日蓮猶能く畏れず。彼皆異端邪説、聖人の徒の歯せざる所なるに彼が如し。況んや聖人の道に志し伊尹の任を願ふ者、何ぞ区々として謗議と岸獄とを惧れんや。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る