宋名臣言行録 / 前集巻四・王曙
玉清昭應宮災守衛者皆坐繫獄公上疏曰昔魯桓僖宮災孔子以為桓僖親盡當毁者也遼東髙廟及髙園陵便殿災董仲舒以為髙廟不當居郡國便殿不當居陵旁故災魏崇華殿災髙堂隆以為天以臺榭宮室為戒宜罷勿治文帝不聴明年復災今所建宮不應經義災變之來若有警者願除其地罷諸禱祠以應天變仁宗與太后感悟遂薄守衛者罪已而詔以不復繕修諭天下
新字:玉清昭応宮災守衛者皆坐繋獄公上疏曰昔魯桓僖宮災孔子以為桓僖親尽当毀者也遼東高廟及高園陵便殿災董仲舒以為高廟不当居郡国便殿不当居陵旁故災魏崇華殿災高堂隆以為天以台榭宮室為戒宜罷勿治文帝不聴明年復災今所建宮不応経義災変之来若有警者願除其地罷諸祷祠以応天変仁宗与太后感悟遂薄守衛者罪已而詔以不復繕修諭天下
書き下し
玉清昭應宫災あり。守衛する者、皆な坐して獄に繫がる。公、疏を上りて曰く、昔、魯の桓・僖の宮災あり。孔子、以て桓・僖は親盡きて當に毁つべき者と為す。遼東の髙廟及び髙園の陵の便殿災あり。董仲舒、以て髙廟は郡國に居るべからず、便殿は陵の旁に居るべからず、故に災すと為す。魏の崇華殿災あり。髙堂隆、以て天は臺榭宮室を以て戒と為すと為す。宜しく罷めて治むる勿かるべしと。文帝聴かず。明年復た災す。今、建つる所の宮は經義に應ぜず。災變の來たること、警むる者有るが若し。願わくは其の地を除き、諸の禱祠を罷めて以て天變に應ぜよと。仁宗と太后、感悟す。遂に守衛する者の罪を薄くす。已にして詔して復た繕修せざるを以て天下に諭す。
現代語訳
玉清昭応宮が火事になった。守衛していた者はみな連座して獄につながれた。公は上疏して言った。「昔、魯の桓公・僖公の廟が火事になりました。孔子は、桓公・僖公はもう血縁が尽きて取り壊すべきものだったからだ、としました。遼東の高廟と高園陵の便殿が火事になりました。董仲舒は、高廟は郡国に置くべきものではなく、便殿は陵の傍らに置くべきものではない、だから火事になったのだ、としました。魏の崇華殿が火事になりました。高堂隆は、天は高殿や宮室をもって戒めとするのだ、やめて建て直さないほうがよい、としました。文帝は聴かなかった。翌年また火事になりました。いま建てられているこの宮は、経書の義にかなっておりません。災変が来るのは、何か警めるものがあるかのようです。どうかその地を取り払い、諸々の祈祷の祠をやめて、天の変異に応えられますように」。仁宗と太后は悟るところがあった。そこで守衛していた者の罪を軽くした。ほどなく詔を下して、もう修繕しないことを天下に告げた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
尚書・伊訓臣下匡(ただ)さずんば、其の刑は墨、具(つぶさ)に蒙士に訓(をし)ふ。嗚呼(ああ)、嗣王厥(そ)の身を祗(つつし)み、念へや。聖謨洋洋として、嘉言孔(はなは)だ彰(あき)らかなり。惟れ上帝は常ならず、
-
『春秋左氏伝』荘公十九年 鬻拳の兵諫十九年春、楚子之を禦ぎ、大いに津に敗る。還る。鬻拳納れず。遂に黃を伐ち、黃の師を碏陵に敗る。還りて、湫に及び、疾有り。夏六月庚申、卒す。鬻拳諸を夕室に葬り、亦た自殺す。而して絰皇に葬らる。初め、鬻拳強ひて楚子を諫む。楚子從はず。之に臨むに兵を以てす。懼れて之に從ふ。鬻拳曰く、「吾君を懼れしむるに兵を以てす。罪焉より大なるは莫し」と。遂に自ら刖る。楚人以て大閽と爲し、之を大伯と謂ひ、其の後をして之を掌らしむ。君子曰く、「鬻拳は君を愛すと謂ふべし。諫めて以て自ら刑に納れ、刑せられても猶ほ君を善に納るるを忘れず」と。初め、王姚莊王に嬖せられ、子頹を生む。子頹寵有り、蒍國之が師と爲る。惠王位に即くに及び、蒍國の圃を取りて以て囿と爲す。邊伯の宮王宮に近し、王之を取る。王子禽祝跪と詹父との田を奪ひて、膳夫の秩を收む。故に蒍國・邊伯・石速・詹父・子禽祝跪亂を作し、蘇氏に因る。秋、五大夫子頹を奉じて以て王を伐つ。克たず、溫に出奔す。蘇子子頹を奉じて以て衛に奔る。衛の師・燕の師周を伐つ。冬、子頹を立つ。
-
史記 趙世家趙衰、重耳に従ひて出亡すること凡そ十九年、国に反ることを得たり。重耳晋の文公と為り、趙衰原の大夫と為り、原に居り、国政に任ず。文公の国に反り及び霸たる所以は、多く趙衰の計策なり。語は晋の事の中に在り。趙衰既に晋に反り、晋の妻固く翟の妻を迎へんことを要め、而して其の子盾を以て適嗣と為し、晋の妻の三子皆下りて之に事ふ。晋の襄公の六年にして趙衰卒し、諡して成季と為す。趙盾、成季に代はりて国政に任ずること二年にして晋の襄公卒す。太子夷皋年少し。盾、国の多難なるが為に、襄公の弟雍を立てんと欲す。雍時に秦に在り。使をして之を迎へしむ。太子の母日夜啼泣し、頓首して趙盾に謂ひて曰く、「先君何の罪かある。其の適子を釈きて更に君を求むるか」と。趙盾之を患へ、其の宗と大夫との襲ひて之を誅せんことを恐れ、乃ち遂に太子を立つ、是を霊公と為す。兵を発して襄公の弟を秦に迎ふる所の者を距ぐ。霊公既に立ち、趙盾益々国政を専らにす。霊公立ちて十四年、益々驕る。趙盾驟々諫むれども、霊公聴かず。熊蹯を食らふに及び、胹て熟せず、宰人を殺し、其の尸を持ちて出づ。趙盾之を見る。霊公此に由りて懼れ、盾を殺さんと欲す。盾素より仁にして人を愛す。嘗て食はせし所の桑下の餓人、反りて捍ぎて盾を救ふ。盾以て亡ぐるを得たり。未だ境を出でずして、趙穿霊公を弑して襄公の弟黒臀を立つ、是を成公と為す。趙盾復た反りて国政に任ず。君子盾を譏る、「正卿と為りて、亡げて境を出でず、反りて賊を討たず」と。故に太史書して曰く「趙盾其の君を弑す」と。晋の景公の時にして趙盾卒し、諡して宣孟と為す。子朔嗣ぐ。趙朔、晋の景公の三年、朔晋の将として下軍に将として鄭を救ひ、楚の荘王と河上に戦ふ。朔、晋の成公の姊を娶りて夫人と為す。晋の景公の三年、大夫屠岸賈、趙氏を誅せんと欲す。初め、趙盾在りし時、夢に叔帯の要を持ちて哭するを見る。甚だ悲し。已にして笑ひ、手を拊ちて且つ歌ふ。
-
『晏子春秋』諫下・景公登路寢台不終不說晏子諫景公路寝の台に登り、終うる能わずして、陛に息み、忿然として色を作し、説ばず、曰く、「孰か高台を為りて、人を病ましむること之れ甚だしき」と。晏子曰く、「君身に節して高くする勿からんことを欲せば、人をして之を高くせしめて罪する勿れ。今高ければ之に従うに罪を以てし、卑ければ亦た之に従うに罪を以てす。敢えて問う、人をして此の如くならしむるは可ならんか。古者の宮室を為るや、以て生に便なるに足る、以て奢侈と為さず、故に身に節し、民に謂う。夏の衰うるに及びて、其の王桀徳行に背棄し、璿室玉門を作為す。殷の衰うるや、其の王紂傾宮霊台を作為し、卑狭なる者は罪有り、高大なる者は賞有り、是を以て身に及べり。今君は高きも亦た罪有り、卑きも亦た罪有り、夏殷の王より甚だし。民力殫き乏しけれども、罪を免れず。嬰国の流失して、公の享けざるを得んことを恐る」と。公曰く、「善し、寡人自ら知る、誠に財を費やし民を労し、以て功無しと為し、又た従いて之を怨む、是れ寡人の罪なり。夫子の教えに非ざれば、豈に社稷を守るを得んや」と。遂に下り、再拝し、果たして台に登らず。
-
『春秋左氏伝』桓公十三年 莫敖屈瑕の敗死十三年春、楚の屈瑕羅を伐つ。鬬伯比之を送る。還りて、其の禦に謂ひて曰く、「莫敖必ず敗れん。趾を舉ぐること高し、心固からず」と。遂に楚子に見えて曰く、「必ず師を濟せ」と。楚子焉を辭す。入りて夫人鄧曼に告ぐ。鄧曼曰く、「大夫は其れ眾の謂に非ず。其れ君の小民を撫するに信を以てし、諸司を訓ふるに德を以てし、而して莫敖を威すに刑を以てするを謂ふなり。莫敖は蒲騷の役に狃れ、將に自ら用ゐんとす。必ず羅を小とせん。君若し鎮撫せずんば、其れ備へを設けざらんか。夫れ固より君の眾を訓へて好く之を鎮撫し、諸司を召して之に勸むるに令德を以てし、莫敖を見て諸に天の假易せざるを告げよと謂ふなり。然らずんば、夫れ豈に楚の師の盡く行くを知らざらんや」と。楚子賴人をして之を追はしむ。及ばず。莫敖師に徇へしめて曰く、「諫むる者は刑有り」と。鄢に及び、次を亂して以て濟る。遂に次無く、且つ備へを設けず。羅に及ぶ。羅と盧戎と兩つながら之に軍す。大いに之を敗る。莫敖荒谷に縊れ、群帥冶父に囚へられて以て刑を聽く。楚子曰く、「孤の罪なり」と。皆之を免す。宋多く賂を鄭に責む。鄭命に堪へず。故に紀・魯を以て齊及び宋・衛・燕と戰ふ。戰ふ所を書せざるは、後るればなり。鄭人來りて好を修めんことを請ふ。
-
『春秋左氏伝』文公元年 秦伯、孟明を責めず殽の役、晉人既に秦の師を歸す。秦の大夫及び左右皆秦伯に言ひて曰く、「是の敗や、孟明の罪なり。必ず之を殺せ」と。秦伯曰く、「是れ孤の罪なり。周の芮良夫の詩に曰く、『大風隧(みち)有り、貪人類を敗る。聽言には則ち對へ、誦言には醉へるが如し。其の良を用ゐず、覆つて我をして悖らしむ』と。是れ貪の故なり、孤の謂なり。孤實に貪りて以って夫子に禍す。夫子何の罪かあらん」と。復た政を為さしむ。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る