宋名臣言行録 / 後集巻四・劉敞
遂上疏曰陛下尊號既巳云體天法道欽文聰武神聖孝徳盡善極美復加大仁不足増光而曰至治有若自矜今百姓多困倉廪不實風俗未清賢不肖混淆獄訟繁多盜賊羣起水旱繼有四夷雖粗定亦本以重賂厚利羈縻之非畏威慕義者也未可謂至治然則讓而不居於聖徳彌髙矣臣謂陛下永執至道以當天心必有一謙四益之報増加數字未足發揚光輝而反累二十年昭升之美章凡四上天子得公奏顧侍臣曰我意本謂當如此遂㫁章表不受公於是忤時相
新字:遂上疏曰陛下尊号既巳云体天法道欽文聰武神聖孝徳尽善極美復加大仁不足増光而曰至治有若自矜今百姓多困倉廪不実風俗未清賢不肖混淆獄訟繁多盗賊羣起水旱継有四夷雖粗定亦本以重賂厚利羈縻之非畏威慕義者也未可謂至治然則譲而不居於聖徳弥高矣臣謂陛下永執至道以当天心必有一謙四益之報増加数字未足発揚光輝而反累二十年昭升之美章凡四上天子得公奏顧侍臣曰我意本謂当如此遂㫁章表不受公於是忤時相
書き下し
遂に上疏して曰く、陛下の尊號は既に已に體天法道欽文聰武神聖孝德と云う。善を盡くし美を極む。復た大仁を加うるも光を増すに足らず。而して至治と曰うは、自ら矜るが若き有り。今百姓多く困しみ、倉廩實たず、風俗未だ清からず、賢不肖混淆し、獄訟繁多、盜賊羣起し、水旱繼いで有り。四夷粗ミ定まると雖も、亦た本と重賂厚利を以て之を羈縻す。威を畏れ義を慕う者に非ざるなり。未だ至治と謂う可からず。然らば則ち讓りて居らざるは、聖德に於いて彌ミ髙からん。臣謂えらく、陛下永く至道を執りて以て天心に當たらば、必ず一謙四益の報有らん。數字を増加するも未だ光輝を發揚するに足らずして、反って二十年昭升の美を累わさんと。章凡そ四たび上る。天子公の奏を得て、侍臣を顧みて曰く、我が意は本と當に此くの如くあるべしと謂えりと。遂に章表を斷りて受けず。公是に於いて時相に忤らう。
現代語訳
そこで上疏して言った。「陛下の尊号は、すでに『体天法道欽文聡武神聖孝徳』とあります。善を尽くし美を極めております。さらに『大仁』を加えても輝きを増すには足りません。そのうえ『至治』と称するのは、自ら誇っているようなところがあります。いま百姓の多くは困窮し、倉は満たず、風俗は清らかでなく、賢者と不肖の者は入り混じり、訴訟は多く、盗賊は群がり起こり、水害と旱害が続いております。四方の異民族はおおむね収まっているとはいえ、それももとは重い贈り物と厚い利益によって繋ぎ止めているものです。威を畏れ義を慕っているのではありません。まだ至治とは言えません。とすれば、辞退して受けられないほうが、聖なる徳においていっそう高くなります。臣が思いますに、陛下が永く至高の道を守って天の心に応じられるなら、必ず一つ謙れば四つの益があるという報いがありましょう。数文字を加えても輝きを発揚するには足らず、かえって二十年の昇りゆく美点を損なうことになります」。上疏は都合四度に及んだ。天子は劉敞の奏を得て、侍臣を顧みて言った。「私の意も、もともとこうあるべきだと思っていた」。ついに表を断って受けなかった。劉敞はこれによって時の宰相に逆らうことになった。
解説
この章句が説くこと
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説苑・雜言淳于髡、孟子に謂いて曰く、「名実を先んずる者は、人の為にする者なり。名実を後にする者は、自ら為にする者なり。夫子は三卿の中に在りて、名実未だ上下に加わらずして之を去る、仁者固より此くの如きか」と。孟子曰く、「下位に居りて、賢を以て不肖に事えざる者は、伯夷なり。五たび湯に就き、五たび桀に就く者は、伊尹なり。汙君を悪まず、小官を辞せざる者は、柳下惠なり。三子は道を同じくせざれども、其の趣くところは一なり。一とは何ぞや。曰く仁なり。君子も亦仁のみ、何ぞ必ずしも同じからん」と。曰く、「魯の穆公の時、公儀子政を為し、子思・子庚臣為り、魯の削らるるや滋々甚だし。是くの若きは、賢者の国に益無きなり」と。曰く、「虞は百里奚を用いずして亡び、秦の穆公は之を用いて霸たり。故に賢を用いざれば則ち亡ぶ、削らるる何ぞ得べけんや」と。曰く、「昔者、王豹淇に処りて、河西謳を善くす。綿駒高唐に処りて、齊右歌を善くす。華舟・杞梁の妻、善く其の夫を哭して国俗を変ず。諸を内に有すれば必ず外に形る。其の事を為して其の功無きは、髡未だ睹ざるなり。是の故に賢者無きなり、有らば則ち髡必ず之を識らん」と。曰く、「孔子魯の司寇と為りて用いられず、祭に従いて膰肉至らず、冕を脱がずして行く。其の不善なる者は以て肉の為なりと為し、其の善なる者は以て礼の為なりと為す。乃ち孔子は微罪を以て行かんと欲し、苟くも去るを為さんと欲せざるなり。故に君子の為す所は、衆人固より識る能わざるなり」と。
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