宋名臣言行録 / 前集巻六・韓億
公教子嚴肅不可犯知亳州第二子舍人自西京謁告省覲康公與右相及姪柱史宗彦皆中甲科歸公喜置酒召僚屬之親厚者俾諸子坐於隅坐中忽云二郎吾聞西京有疑獄奏讞者其詳云何舍人思之未能得已訶之再問未能對遂推案索杖大詬曰汝食朝廷厚禄倅貳一府事無巨細皆當究心大辟奏案尚不能記則細務不舉可知矣吾在千里外無所干與猶能知之爾叨冒廪禄何顔報國必欲撻之衆賔力解方已諸子股慄累日不能釋家法之嚴如此所以多賢子孫也
新字:公教子厳粛不可犯知亳州第二子舎人自西京謁告省覲康公与右相及姪柱史宗彦皆中甲科帰公喜置酒召僚属之親厚者俾諸子坐於隅坐中忽云二郎吾聞西京有疑獄奏讞者其詳云何舎人思之未能得已訶之再問未能対遂推案索杖大詬曰汝食朝廷厚禄倅貳一府事無巨細皆当究心大辟奏案尚不能記則細務不舉可知矣吾在千里外無所干与猶能知之爾叨冒廪禄何顔報国必欲撻之衆賓力解方已諸子股慄累日不能釈家法之厳如此所以多賢子孫也
書き下し
公、子を教うること嚴肅、犯す可からず。亳州を知る。第二子舍人、西京より告を謁して省覲す。康公と右相及び姪柱史宗彦と、皆な甲科に中りて歸る。公喜びて酒を置き、僚屬の親厚なる者を召し、諸子をして隅に坐せしむ。坐中、忽ち云う、二郎、吾れ聞く、西京に疑獄の奏讞する者有りと。其の詳は云何と。舍人之を思うも未だ得る能わず。已にして之を訶して再び問う。未だ對うる能わず。遂に案を推し杖を索め、大いに詬りて曰く、汝、朝廷の厚禄を食み、一府に倅貳す。事に巨細と無く、皆な當に心を究むべし。大辟の奏案すら尚お記す能わずんば、則ち細務の舉がらざること知る可し。吾れ千里の外に在りて干與する所無きも、猶お能く之を知る。爾、廪禄を叨冒す。何の顔ありて國に報いんと。必ず之を撻たんと欲す。衆賔力めて解きて方に已む。諸子股慄すること累日、釋くる能わず。家法の嚴なること此くの如し。所以に賢なる子孫多きなり。
現代語訳
公は子を教えることが厳格で、犯しがたかった。亳州の長官であった。次男の舎人が西京から休暇を願い出て親を見舞いに来た。長男の韓綜と右相、そして甥の御史の韓宗彦と、みな甲科に及第して帰ってきた。公は喜んで酒宴を設け、属僚の親しい者を招き、子らを隅に坐らせた。座の途中、不意に言った。「二郎、私は聞いた、西京に判断の難しい裁判で朝廷に伺いを立てたものがあると。その詳しいところはどうなっているか」。舎人は考えたが答えられなかった。しばらくして叱ってもう一度尋ねた。やはり答えられなかった。そこで机を押しやり杖を求め、大声で罵って言った。「おまえは朝廷の厚い禄を食み、一つの府の次官を務めている。事に大小の別なく、すべて心を尽くすべきだ。死罪の伺い書きすら覚えていないのなら、細かい仕事が上がっていないことは知れている。私は千里の外にいて何も関わっていないのに、それでもそれを知っている。おまえは禄を分不相応にむさぼっている。どの顔があって国に報いるのか」。どうしても打とうとした。客たちが力を尽くしてなだめて、やっとやめた。子らは何日も足を震わせて、それが解けなかった。家の法の厳しさは、このとおりであった。だから賢い子孫が多かったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』文公八年 節を握りて死す春、晉侯解揚をして匡・戚の田を衛に歸さしめ、且つ復た公婿池の封を致す、申より虎牢の竟に至る。夏、秦人晉を伐ち、武城を取り、以って令狐の役に報ゆ。秋、襄王崩ず、晉人扈の盟を以って來り討む。冬、襄仲晉の趙孟に會し、衡雍に盟ふ、扈の盟に報ゆるなり。遂に伊雒の戎に會す。書に曰く、「公子遂」と、之を珍とするなり。穆伯周に如きて喪を弔ふ、至らずして、幣を以って莒に奔り、己氏に從ふ。宋の襄夫人は、襄王の姊なり、昭公焉に禮せず。夫人戴氏の族に因りて、以って襄公の孫孔叔・公孫鍾離、及び大司馬公子卬を殺す、皆昭公の黨なり。司馬節を握りて以って死す、故に書するに官を以ってす。司城蕩意諸來奔す、節を府人に效(いた)して出づ。公其の官を以って之を逆へ、皆之を復す。亦た書するに官を以ってす、皆之を貴ぶなり。夷の蒐に、晉侯將に箕鄭父・先都を登せ、而して士縠・梁益耳をして中軍に將たらしめんとす。先克曰く、「狐・趙の勳、廢す可からざるなり」と。之に從ふ。先克蒯得の田を堇陰に奪ふ、故に箕鄭父・先都・士縠・梁益耳・蒯得、亂を作す。
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説苑・臣術泰誓に曰く、「下に附きて上を罔く者は死し、上に附きて下を罔く者は刑せらる。国政に与聞して民に益無き者は退けられ、上位に在りて賢を進むる能わざる者は逐わる」と。此れ善を勧めて悪を黜くる所以なり。故に伝に曰く、「善を傷る者は国の残なり、善を蔽う者は国の讒なり、罪無き者を愬うるは国の賊なり」と。
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尚書・胤征惟れ仲康肇(はじ)めて四海に位し、胤侯命ぜられて六師を掌(つかさど)る。羲和厥(そ)の職を廃し、厥の邑に酒荒す。胤后王命を承けて徂(ゆ)きて征す。衆に告げて曰く、「嗟(ああ)予が有衆。聖に謨訓有り、明らかに徴(しるし)ありて定保す。先王克く天戒を謹み、臣人克く常憲有り、百官修めて厥の后を輔け、惟れ明明たり。毎歳孟春、遒人(しうじん)木鐸を以て路に徇(とな)へ、官師相規(ただ)し、工は藝事を執りて以て諫む。其れ或いは恭しからざれば、邦に常刑有り。惟れ時(これ)羲和、厥の徳を顛覆し、酒に沈乱す。官に畔(そむ)き次を離れ、俶(はじ)めて天紀を擾(みだ)し、遐(とほ)く厥の司を棄つ。乃ち季秋の月朔、辰房に集(やす)んぜず、瞽は鼓を奏し、嗇夫(しよくふ)は馳せ、庶人は走る。羲和厥の官に尸(し)して、聞知する罔(な)く、天象に昏迷し、以て先王の誅を干(をか)す。政典に曰く、『時に先んずる者は殺して赦す無く、時に及ばざる者は殺して赦す無し』と。今予爾(なんぢ)有衆を以て、天罰を奉将す。爾衆士、王室に力を同じくし、尚(こひねが)はくは予を弼(たす)けて、欽みて天子の威命を承けよ。
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孟子・公孫丑章句下孟子平陸に之き、其の大夫に謂ひて曰く、「子の持戟の士、一日にして三たび伍を失はば、則ち之を去らんや否や。」曰く、「三を待たず。」「然らば則ち子の伍を失ふや亦た多し。凶年饑歳には、子の民、老羸は溝壑に転じ、壮者は散じて之き
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『呻吟語』内篇・修身・食功に浮かぶを君子は恥づ古の民の上に居る者は、一邑を治むれば則ち一邑の重きに任じ、一郡を治むれば則ち一郡の重きに任じ、天下を治むれば則ち天下の重きに任ず。朝夕其の事を思慮し、日夜其の務めを經紀す。一物所を失へば、席に安んずるに遑あらず。一事理を失へば、食に安んずるに遑あらず。才に限らるる者は吾が心を盡くさんことを求め、勢に限らるる者は吾が分を滿たさんことを求む。否らざれば是れ食功に浮かぶなり、君子之を恥づ。
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『呻吟語』内篇・修身・性分・職分・名分・勢分性分・職分・名分・勢分、此の四つの者は、宇內の大物なり。性分・職分は己に在り、己に在る者は盡くさざる可からず。名分・勢分は上に在り、上に在る者は守らざる可からず。

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