宋名臣言行録 / 前集巻一・呂䝉正
國朝三入中書惟公與趙韓王爾未嘗以親戚徼寵子從簡當奏補舊制宰相奏子起家即授水部員外郎加朝階公奏曰臣昔忝甲科及第釋褐止授六品京官況天下材能老于巖穴不能霑寸禄者無限今從簡始離襁褓一物不知膺此寵命恐罹隂譴止乞以臣釋褐所授官補之固讓方允止授六品京官自爾為制
新字:国朝三入中書惟公与趙韓王爾未嘗以親戚徼寵子従簡当奏補旧制宰相奏子起家即授水部員外郎加朝階公奏曰臣昔忝甲科及第釈褐止授六品京官況天下材能老于巖穴不能霑寸禄者無限今従簡始離襁褓一物不知膺此寵命恐罹陰譴止乞以臣釈褐所授官補之固譲方允止授六品京官自爾為制
書き下し
國朝、三たび中書に入るは惟だ公と趙韓王のみ。未だ嘗て親戚を以て寵を徼めず。子の從簡、當に奏補せらるべし。舊制、宰相の子を奏して家を起こすは、即ち水部員外郎を授け、朝階を加う。公奏して曰く、臣昔かたじけなくも甲科に及第す。褐を釋くも止だ六品の京官を授けらるるのみ。況んや天下の材能、巖穴に老いて寸禄を霑す能わざる者限り無し。今、從簡は始めて襁褓を離れ、一物も知らず。此の寵命を膺けば、恐らくは隂譴に罹らん。止だ臣が釋褐に授けらるる所の官を以て之に補わんことを乞うと。固く讓りて方に允さる。止だ六品の京官を授く。爾より制と為る。
現代語訳
宋朝で三たび中書省に入ったのは、ただ公と趙韓王だけである。それでも親族によって寵を求めたことがなかった。子の従簡が推薦によって官に就くことになった。古い制度では、宰相の子を奏上して家を立てさせる場合、水部員外郎を授け、朝廷の位階を加えることになっていた。公は奏上して言った。「臣は昔かたじけなくも甲科に及第しました。それでも初任は六品の京官を授けられただけです。まして天下の才ある者で、岩穴に老いてわずかの禄も得られない者は限りがありません。いま従簡はやっと産着を離れたばかりで、何ひとつ知りません。この過分の命を受ければ、おそらく目に見えぬ咎めを受けるでしょう。ただ臣が初任で授けられた官をもって、これに充てていただきたい」。固く辞退してようやく許された。ただ六品の京官を授けた。これ以後、それが制度となった。
解説
この章句が説くこと
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孟子・萬章章句下北宮錡問ひて曰く、「周室の爵禄を班つや、之を如何せし。」孟子曰く、「其の詳は得て聞くべからざるなり、諸侯其の己を害するを悪みて、皆其の籍を去れり。然れども軻や嘗て其の略を聞けり。天子一位、公一位、侯一位、伯一位、子・男同じく一位、凡そ五等なり。君一位、卿一位、大夫一位、上士一位、中士一位、下士一位、凡そ六等なり。天子の制は、地方千里、公侯は皆方百里、伯は七十里、子・男は五十里、凡そ四等なり。五十里なる能はざるは、天子に達せず、諸侯に附く、附庸と曰ふ。天子の卿は地を受くること侯に視へ、大夫は地を受くること伯に視へ、元士は地を受くること子・男に視ふ。大国は地方百里、君は卿の禄を十にし、卿の禄は大夫を四にし、大夫は上士に倍し、上士は中士に倍し、中士は下士に倍し、下士は庶人の官に在る者と禄を同じくし、禄は以て其の耕に代ふるに足るなり。次国は地方七十里、君は卿の禄を十にし、卿の禄は大夫を三にし、大夫は上士に倍し、上士は中士に倍し、中士は下士に倍し、下士は庶人の官に在る者と禄を同じくし、禄は以て其の耕に代ふるに足るなり。小国は地方五十里、君は卿の禄を十にし、卿の禄は大夫を二にし、大夫は上士に倍し、上士は中士に倍し、中士は下士に倍し、下士は庶人の官に在る者と禄を同じくし、禄は以て其の耕に代ふるに足るなり。耕す者の獲る所は、一夫百畝なり。百畝の糞(こや)しは、上農夫は九人を食ひ、上の次は八人を食ひ、中は七人を食ひ、中の次は六人を食ひ、下は五人を食ふ。庶人の官に在る者は、其の禄是を以て差と為す。
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『晏子春秋』雑下・田無宇勝奕氏高氏欲分其家晏子使致之公欒氏高氏、田氏鮑氏を逐わんと欲す。田氏鮑氏先に知りて遂に之を攻む。高強曰く、「先に君を得ば、田鮑安くにか往かん」と。遂に虎門を攻む。二家晏子を召す。晏子従う所無し。従者曰く、「何為れぞ田鮑を助けざる」と。晏子曰く、「何の善きことありて其れ之を助けん」と。「何為れぞ欒高を助けざる」と。曰く、「庸ぞ彼より愈れるか」と。門開き、公召して入る。欒高勝たずして出づ。田桓子其の家を分かたんと欲し、以て晏子に告ぐ。晏子曰く、「不可なり。君法を飭むる能わずして、群臣制を専らにするは、乱の本なり。今又其の家を分かち、其の貨を利せんと欲す。是れ制に非ず。子必ず之を公に致せ。且つ嬰之を聞く、廉は、政の本なり。譲は、徳の主なり。欒高譲らず、以て此の禍に至る。慎まざる可けんや。廉は之を公正と謂い、譲は之を徳を保つと謂う。凡そ血気有る者は、皆争心有り。怨利は孽を生ず。維れ義のみ以て長く存す可し。且つ分争する者は其の禍に勝えず、辞譲する者は其の福を失わず。子必ず取ること勿かれ」と。桓子曰く、「善し」と。尽く之を公に致して、老を剧に請う。
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『政談』國の締り一篇の發端の事総して国の治めと云ふは、譬へば碁盤の目を盛るが如し、目を盛らざる盤にては、何ほどの上手にても碁はうたれぬなり、洪水を静むるには、川筋を付るなり、川筋を付ざれば、禹王再び生れ出たまふとも、水を静むることは叶はざるなり、当時火災の事上の御世話にて塗屋土蔵造に成りたれば、火災自然と少なし、是明かなる証拠なり、其外の御政務には、此訳を申し立る人なきにや、是によりて和漢の古法を考へ愚案の量見を左に記す、
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『政談』諸色直段の事偖又用ゆるもの多き故に高直になる、此用ゆる者多きは制度なきより起れり、元来貴き人は善きものを用ひ、賤きものは悪きものを用ゆるときは、物各々其宜きを得るゆゑ諸色高直にはならぬを、今は賤き者まても善きものを用ゆると云は如何やうの事なれは、御城下に来集る民は素は田舎のものにて、麦粟種等の雑穀を食し、濁酒を飲み、味噌をも食せす、すくも火を焼き、麻木綿を織て着し、席薦の上に寝臥をしたるものか、心儘に御城下に来住する故、米味噌を食し、薪を焼き、炭の火にあたり、衣服も買整へて着し、善酒を飲み、田舎に之なき障子を立て、天井を張り、唐紙を張り、畳を敷き、蚊屋を釣るなとすることは、ぼていふりも皆斯の如し、少しも善き町人は衣服食事家居器物まても金さへあれは大名と同しことにて誰れ制する者なし、是諸物の用ゆる人多き故諸色の高直なること尤なり、
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『政談』右四册大意の事右四册の物語りに瑣細なるまでを記したることは、当時は法の立てやう未熟にて、大なる所に法立たず、末に計り法立ちてある故世界に締り無く、風俗ひたものに移り行き、今は法は法にて有りながら、下は下にて別々になりて、法も詮無きことに成りたることを知らせ奉らんためなり、当時のことなど見及び聞及びたる争などを少々書きたるは、定めて承はり違ひもあるべし、又愚按の違ひもあるべし、政治の道はひきつはなれたることにあらず、世の成行世界の全体を知し召すこと肝要なり、肝心の所は世界旅宿の境界なると、諸事の制度なきと、此二つに帰することなり、是によりて、戸籍を立て万民を住所に有付ると、町人百姓と武家と制度の差別を立ると、大名の家に制度を立ると御買上と云ことの之なきやうにすると、大体是にて世界はすぐなをり豊かに成るへし、
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『政談』當時制度之なき事兼て制度を立てゝこれを安くするときは人々知る故分に過ぎたる奢りは自からなくて世上に費へなし、制度なければ上より奢りをするなと制し玉ふと云ふとも、是までが分相応にて是より上か奢りなりと云ふ「キツカケ」なけれはすへきやうなし、華美を好むは人情の常なる故制度なき故に世は次第に奢りに成行くなり、衣服の制度ある時は是は大名是は大役高官の人と云ふ事坐敷の上にても自から知るゝ故、人々貴きを敬ひ儀式自から乱れさるに、上一人より下は民までも何れも小袖を着上下を着ること同様にて、其衣服の地は金さへあれは何を着ても誰制する人なし、上下の見分けなき故高官大役の人下のものと別の立てやうなく、唯々いかつかましき体をして是にて高下を別のことに成り、我か身の君子の礼儀を失ふことをは知らず、御役人奉行なとの無礼甚しく、下たるものは礼に過ぎて這ひ屈み、諂ふ風俗甚しきも制度なきか故なり、

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