宋名臣言行録 / 前集巻一・范質
公以亷介自持未嘗受四方饋遺前後所得禄賜多給孤遺閨門之中食不異品身沒之後家無餘貲後太祖因講求輔相謂侍臣曰朕聞范質但有所居宅不營産真宰相也太宗亦素重質以為循規矩惜名器持亷節無出質之右者
新字:公以亷介自持未嘗受四方饋遺前後所得禄賜多給孤遺閨門之中食不異品身没之後家無余貲後太祖因講求輔相謂侍臣曰朕聞范質但有所居宅不営産真宰相也太宗亦素重質以為循規矩惜名器持亷節無出質之右者
書き下し
公、亷介を以て自ら持し、未だ嘗て四方の饋遺を受けず。前後得たる所の禄賜、多く孤遺に給す。閨門の中、食に品を異にせず。身沒するの後、家に餘貲無し。後、太祖輔相を講求するに因りて、侍臣に謂いて曰く、朕聞く、范質は但だ居る所の宅有るのみにして、産を營まずと。真の宰相なりと。太宗も亦た素より質を重んじ、以為えらく、規矩に循い、名器を惜しみ、亷節を持するは、質の右に出づる者無しと。
現代語訳
公は清廉と節操を守って身を持し、四方からの贈り物を受けたことがなかった。前後に得た俸禄と下賜は、その多くを孤児や遺族に与えた。家の中では、食事に上下の差をつけなかった。亡くなったあと、家には余分な財が無かった。後に太祖が輔佐の宰相について論じたおり、侍臣に言った。「私は聞いている。范質はただ住んでいる屋敷があるだけで、財産を営まないと。まことの宰相である」。太宗もまた平素から范質を重んじ、規矩に従い、官位という器を惜しみ、清廉の節を保つことでは、范質の右に出る者はいないと考えていた。
解説
范質の条を締めくくる清廉の記録です。贈り物を受けず、俸禄は孤児や遺族に配り、**家の中では食事に上下の差をつけなかった。**死んだあと家に余分な財が無い、というのがこの人の帳尻でした。太祖の評が短くて効いています。ただ住んでいる屋敷があるだけで財産を営まない、まことの宰相だ、と。太宗が挙げた三つ——規矩に従う、官位という器を惜しむ、清廉の節を保つ——は、そのまま宰相の採点表になっています。
この章句が説くこと
未だ嘗て四方の饋遺を受けず閨門の中食に品を異にせず身没するの後家に余貲無し規矩に循い名器を惜しみ亷節を持す清廉公私家
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