宋名臣言行録 / 後集巻三・張方平
移鎮西蜀始李順以甲午嵗叛蜀人記之至是方以為憂而轉運使攝守事西南夷有卭部川首領者妄言蠻賊儂智髙在南詔欲來冦蜀攝守大驚調兵築城民大驚擾朝廷發陜西步騎戍蜀兵仗絡繹於道詔促公行公言南詔去蜀二千里安能為智髙冦我哉此必妄也臣當以静鎮之道遇戍卒兵仗輒遣還入境下令卭部川曰冦來吾自當之妄言者斬悉歸所調兵罷築城之役㑹上元觀燈城門皆通夕不閉蜀遂大安
新字:移鎮西蜀始李順以甲午歳叛蜀人記之至是方以為憂而転運使摂守事西南夷有卭部川首領者妄言蠻賊儂智高在南詔欲来寇蜀摂守大驚調兵築城民大驚擾朝廷発陜西歩騎戍蜀兵仗絡繹於道詔促公行公言南詔去蜀二千里安能為智高寇我哉此必妄也臣当以静鎮之道遇戍卒兵仗輒遣還入境下令卭部川曰寇来吾自当之妄言者斬悉帰所調兵罷築城之役会上元観灯城門皆通夕不閉蜀遂大安
書き下し
鎮を西蜀に移す。始め李順甲午の歳を以て叛く。蜀人之を記す。是に至りて方に以て憂と爲す。而して轉運使守事を攝す。西南夷に邛部川の首領なる者有り、妄りに言う、蠻賊儂智髙南詔に在り、來たりて蜀を冦さんと欲すと。攝守大いに驚き、兵を調え城を築く。民大いに驚擾す。朝廷、陝西の步騎を發して蜀を戍らしむ。兵仗道に絡繹たり。詔して公の行を促す。公言う、南詔は蜀を去ること二千里。安んぞ能く智髙の爲に我を冦さんや。此れ必ず妄なり。臣當に静を以て之を鎮むべしと。道に戍卒兵仗に遇わば輒ち遣り還す。境に入りて令を下して邛部川に曰く、冦來たらば吾自ら之に當たらん。妄言する者は斬ると。悉く調うる所の兵を歸し、城を築くの役を罷む。會ミ上元の觀燈、城門皆通夕して閉じず。蜀遂に大いに安んず。
現代語訳
任地を西蜀に移した。かつて李順は甲午の年に叛いた。蜀の人はそれを覚えていた。ここに至ってちょうどそれを憂いとしていた。そして転運使が長官の職務を代行していた。西南夷に邛部川の首領という者があり、でたらめに「蛮賊の儂智高が南詔にいて、蜀を襲おうとしている」と言った。代行の長官は大いに驚き、兵を集め城を築いた。民は大いに驚き騒いだ。朝廷は陝西の歩兵と騎兵を出して蜀を守らせた。武器を運ぶ列が道に続いた。詔して張方平の赴任を急がせた。張方平は言った。「南詔は蜀から二千里も離れています。どうして智高のために我らを襲えましょうか。これは必ずでたらめです。臣は静けさをもってこれを鎮めます」。道中で守備兵や武器の列に出会えば、そのつど送り返した。境に入ると命令を下して邛部川に告げた。「敵が来れば私が自ら当たる。でたらめを言う者は斬る」。集めた兵をすべて帰し、城を築く役をやめた。ちょうど上元の灯籠見物にあたり、城門はすべて一晩中閉じなかった。蜀はそれで大いに安らかになった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻三・張方平已にして邛部川の澤人を得たり。始めて此の謀を爲す者を斬り、首を境上に梟す。西南夷大いに震う。是より先、朝廷智髙の母子を獲て留めて殺さず、以て智髙を招かんと欲す。是に至りて乃ち法に伏す。復た三司使を以て召し還さる。奏して蜀の横賦四十萬を罷む。蜀人今に至るまで之を紀す。
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『宋名臣言行録』後集巻三・張方平秦州を知る時、亮祚方に驕僭なり。士馬を閲し堡を築く。篳篥城の西は秦の境を壓す。上屬戸皆山林に逃匿す。公即ち將士を料簡し、塞を出づと聲言して、實は軍を按じて動かず。賊既に至らず。言う者因りて公を賊無くして輕舉すと論ず。宰相曾公亮曰く、兵は塞を出でず。何ぞ輕舉と名づけんや。備え有りて賊至らざれば則ち輕舉を以て之を罪す。邊臣是れより敢えて事に先んずるの備えを爲さざらんと。
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『宋名臣言行録』後集巻三・張方平是の時に方り、士大夫天下の全勝を見て、元昊は小醜なりとし、皆兵を發して之を誅せんと欲す。惟だ公と吳育とのみ議を同じくす。議する者察するに勝えず、二人の論を以て姑息より出づと爲す。遂に計を決して兵を用う。天下騷動す。公平戎十策を獻ず。宰相呂夷簡之を見て宋綬に謂いて曰く、君能く國の爲に人を得たりと。然れども其の策を用うるに果たさず。
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『宋名臣言行録』後集巻三・張方平元昊叛き、禁兵皆西す。而して諸路の守兵は多く揀びて闕に赴かしむ。郡縣備え無し。乃ち命じて額外の弓手を調う。公睦州に在りて利害八事を條上す。是に及びて旨有り、使いを陝西・河東・京東西路に遣わして弓箭手を刺し、宣毅・保捷指揮と爲す。公連ねて疏を上りて之を爭うこと甚だ力むるも從われず。刺す所の兵二十餘萬人は皆市人にして用う可からず。宣毅驕ること甚だしく、至る所に冦を爲す。是れより民力大いに困しみ、國用一空す。識者、公の言に從わざるを以て恨みと爲す。
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『宋名臣言行録』後集巻三・張方平睦州を通判せし時、趙元昊叛かんと欲するも未だ以て發する有らず。則ち嫚書を爲して大名を求め、以て朝廷を怒らせ、譴絶を得て以て激して其の衆を使わんとす。公以謂えらく、朝廷は景德以來既に契丹と盟し、天下備えを忘れ、將は兵を知らず、士は戰を知らず、民は勞を知らざること蓋し三十年なり。若し驟かに之を用いば、必ず師を喪い將を蹶かすの憂い有らん。兵連なり民疲れなば、必ず盜賊意外の患有らん。當に垢を含み瑕を匿し、其の意に順適して未だ以て發する有らざらしめ、歳月の頃を得て、其の間に將を選び士を厲まし、城を堅くし器を除え、勝つ可からざるを爲して以て之を待つべし。元昊は終に必ず叛くと雖も、兵は名無くして出で、吏士は其の上を直しとせず、勝を決し難し。小國の兵を用うること三年にして勝負を見ずんば、折れずんば則ち破る。我は全を以て其の後を制す。必勝の道なりと。
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『宋名臣言行録』後集巻三・張方平元昊叛き、陝西四路に帥を置く。夏竦總帥と爲り、長安に居りて邊に臨まず。公諫官と爲りて言う、竦は長安に端坐して未だ嘗て敵に臨まず。諸路の失律は一に皆問わず。總師の名有りて總師の實無し。乞う、四路の敗事に據りて責罰を加え、而して總帥を罷め、四路の帥臣に傳えて自ら戰守の計に任ぜしめよと。之に從う。