宋名臣言行録 / 後集巻五・唐介
未幾堯佐復除宣徽使知河陽公又獨爭之不能奪仁宗諭曰除擬初出中書公遂極言宰相文彦博知益州日以燈籠錦媚貴妃而致相位今又以宣徽使結堯佐請逐彦博而相富弼又言吳奎觀望挾姦語甚切直仁宗怒却其奏不視且言將貶竄
新字:未幾堯佐復除宣徽使知河陽公又独争之不能奪仁宗諭曰除擬初出中書公遂極言宰相文彦博知益州日以灯籠錦媚貴妃而致相位今又以宣徽使結堯佐請逐彦博而相富弼又言吳奎観望挟姦語甚切直仁宗怒却其奏不視且言将貶竄
書き下し
未だ幾ならずして堯佐復た宣徽使を除せられ河陽を知す。公又た獨り之を爭うも奪う能わず。仁宗諭して曰く、除擬は初め中書より出づと。公遂に極言す、宰相文彦博は益州を知するの日、燈籠錦を以て貴妃に媚びて相位を致す。今又た宣徽使を以て堯佐に結ぶ。彦博を逐いて富弼を相とせんことを請うと。又た言う、吳奎は觀望して姦を挾むと。語甚だ切直なり。仁宗怒りて其の奏を卻けて視ず、且つ言う、將に介を貶竄せんと。
現代語訳
ほどなく張堯佐はふたたび宣徽使に任じられ、河陽の知事となった。唐介はまた一人でこれを争ったが、覆せなかった。仁宗は諭して言った。「任命はもともと中書から出たものである」。唐介はそこで言い切った。「宰相の文彦博は、益州の知事であったとき、燈籠錦によって貴妃に取り入って宰相の位を得ました。いままた宣徽使をもって堯佐と結んでおります。彦博を退けて富弼を宰相とされるよう願います」。また言った。「呉奎は様子をうかがって、よこしまな心を抱いております」。言葉はきわめて切実で率直であった。仁宗は怒ってその上奏を退けて目を通さず、そのうえ「唐介を追放するつもりだ」と言った。
解説
天子が責任の所在を中書に移しました。**任命はもともと中書から出たものである。**普通ならここで矛先を収めます。唐介は、その中書の宰相を名指しました。しかも人事の批判ではなく、宰相になった経緯そのものを持ち出しています。**燈籠錦によって貴妃に取り入って宰相の位を得ました。**後宮を通じて宰相になった人が、後宮の縁者を引き上げている、という筋を通した。しかも同席の諫官まで断じています。**呉奎は様子をうかがって、よこしまな心を抱いております。**
この章句が説くこと
仁宗諭して曰く除擬は初め中書より出づ宰相文彦博は益州を知するの日灯籠錦を以て貴妃に媚びて相位を致す今又た宣徽使を以て堯佐に結ぶ仁宗怒りて其の奏を却けて視ず且つ言う将に介を貶竄せん弾劾外戚
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