宋名臣言行録 / 後集巻五・唐介
改知復州未至召充言事御史帝曰知卿被謫以来未嘗以私書至京師可謂不易所守公頓首謝退就職言事無避如前
書き下し
改めて復州を知す。未だ至らずして召されて言事御史に充つ。帝曰く、卿の謫を被りて以來、未だ嘗て私書を以て京師に至らざるを知る。守る所を易えずと謂う可しと。公頓首して謝し、退きて職に就く。事を言うに避くる無きこと前の如し。
現代語訳
改めて復州の知事となった。まだ着任しないうちに召されて言事御史に充てられた。天子は言った。「卿が貶められて以来、一度も私信を都に送っていないことを知っている。守るところを変えなかったと言ってよい」。唐介は頭を下げて礼を述べ、退がって職に就いた。事を述べるのに避けるところがないのは、以前のとおりであった。
解説
失脚した人が復帰する道は、たいてい手紙から始まります。都に残る誰かに書いて、思い出してもらう。それをしなかったことが、天子の側から記録されていました。**卿が貶められて以来、一度も私信を都に送っていないことを知っている。**見ていた人がいた、というのがこの条の要です。そして復帰後の一行が短い。**事を述べるのに避けるところがないのは、以前のとおりであった。**戻れたからといって、言い方を変えていません。
この章句が説くこと
改めて復州を知す未だ至らずして召されて言事御史に充つ卿の謫を被りて以来未だ嘗て私書を以て京師に至らざるを知る守る所を易えずと謂う可し事を言うに避くる無きこと前の如し潔癖失脚
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