宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
臣昔曾言青苖錢事而言者輙肆厚誣非陛下之明幾及大戮自此聞新法日下實避嫌疑不敢論列今親被詔問事係國家安危言及而隱罪不容誅
新字:臣昔曽言青苖銭事而言者輙肆厚誣非陛下之明幾及大戮自此聞新法日下実避嫌疑不敢論列今親被詔問事係国家安危言及而隠罪不容誅
書き下し
臣昔曾て青苗錢の事を言う。而るに言う者輒ち厚誣を肆にす。陛下の明に非ずんば、幾ど大戮に及ばん。此れより新法の日に下るを聞くも、實に嫌疑を避けて敢えて論列せず。今親しく詔問を被り、事は國家の安危に係る。言うに及びて隱さば、罪誅を容れず。
現代語訳
臣は昔、かつて青苗銭の事を申し上げました。ところが物を言う者がほしいままに厚く誣告しました。陛下の明察がなければ、危うく大きな刑に及ぶところでした。それ以来、新しい法が日々下るのを聞いても、実のところ嫌疑を避けて、あえて論じ列べることをしませんでした。いま親しく詔をもってお尋ねを賜り、事は国家の安危に関わります。言うべきときに及んで隠すなら、その罪は誅されても足りません。
解説
国境の対策を答える文書に、自分の沈黙の申告が挟まっています。**それ以来、新しい法が日々下るのを聞いても、実のところ嫌疑を避けて、あえて論じ列べることをしませんでした。**言わなかった、と自分から書いた。言えなかった理由も隠していません。**危うく大きな刑に及ぶところでした。**この一段があることで、続く新法批判が、日ごろ何にでも反対している者の言葉ではなくなります。黙っていた人が口を開くのだ、と読める。**言うべきときに及んで隠すなら、その罪は誅されても足りません。**
この章句が説くこと
臣昔曽て青苗銭の事を言う而るに言う者輒ち厚誣を肆にす陛下の明に非ずんば幾ど大戮に及ばん実に嫌疑を避けて敢えて論列せず言うに及びて隠さば罪誅を容れず沈黙諫言
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