宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
公在青州太宗乆不豫驛召還問後事公曰知子莫若父臣愚不當與也固問之公再拜曰臣觀諸皇子惟夀王得人心上大悦遂定䇿以夀王為太子謁太廟還六宫登樓以觀百姓皆合手叩額歌呼相慶曰少年天子也
新字:公在青州太宗久不予駅召還問後事公曰知子莫若父臣愚不当与也固問之公再拝曰臣観諸皇子惟寿王得人心上大悦遂定策以寿王為太子謁太廟還六宮登楼以観百姓皆合手叩額歌呼相慶曰少年天子也
書き下し
公、青州に在り。太宗乆しく豫まず。驛して召し還し、後事を問う。公曰く、子を知るは父に若くは莫し。臣愚にして當に與らざるなりと。固く之を問う。公再拜して曰く、臣、諸皇子を觀るに、惟だ夀王のみ人心を得たりと。上大いに悦び、遂に䇿を定めて夀王を以て太子と為す。太廟に謁して還る。六宫の樓に登りて以て觀るに、百姓皆な手を合わせ額を叩き、歌呼して相い慶して曰く、少年天子なりと。
現代語訳
公は青州にいた。太宗が長く病んでいた。駅馬で召し返して、後のことを尋ねた。公は言った。「子を知るのは父に及ぶ者がありません。臣は愚かで、加わるべきではありません」。強いて問うた。公は再び拝して言った。「臣が皇子たちを見ますに、ただ寿王だけが人心を得ております」。帝は大いに喜び、そこで策を定めて寿王を太子とした。太廟に参拝して帰った。六宮の楼に登って眺めると、民はみな手を合わせ額を叩き、歌い叫んで祝い合った。「若い天子さまだ」。
解説
継承を問われて、一度は辞退してから答えた条です。臣が皇子たちを見ますに、ただ寿王だけが人心を得ております。能力でも徳でもなく、人心という一点で選んでいます。そして太子が太廟から帰る道で、民が手を合わせて「若い天子さまだ」と祝いました。見立てが正しかったことが、その場で目に見えている。ただしこの喜びが、次の代の火種にもなっていきます。
この章句が説くこと
臣諸皇子を観るに惟だ寿王のみ人心を得たり臣諸皇子を観るに惟だ夀王のみ人心を得たり子を知るは父に若くは莫し臣愚にして当に与らざるなり百姓皆な手を合わせ額を叩き歌呼して相い慶す継承人心
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