宋名臣言行録 / 後集巻十四・陳襄
時學者方溺於彫篆之文以相髙所謂知天盡性之説皆指以為迂濶而莫之講公與三人者獨以斯道鳴於海隅聞者始皆笑之而驚四人者不為變守之益堅躬行於其家由家逹於州閭人卒信而化之父兄皆飭其子弟請從之由是閩中士人宗之謂之四先生雖有誕突恣傲不可率者不敢失禮於其門巳而四先生之名傳之四方從之學者日益衆
新字:時学者方溺於彫篆之文以相高所謂知天尽性之説皆指以為迂濶而莫之講公与三人者独以斯道鳴於海隅聞者始皆笑之而驚四人者不為変守之益堅躬行於其家由家逹於州閭人卒信而化之父兄皆飭其子弟請従之由是閩中士人宗之謂之四先生雖有誕突恣傲不可率者不敢失礼於其門巳而四先生之名伝之四方従之学者日益衆
書き下し
時に學者方に彫篆の文に溺れて以て相い高しとす。所謂知天盡性の説は、皆な指して以て迂濶と爲して之を講ずる莫し。公三人なる者と獨り斯の道を以て海隅に鳴る。聞く者始め皆な之を笑いて驚く。四人なる者變を爲さず、之を守ること益ミ堅し。躬ら其の家に行い、家に由りて州閭に達す。人卒に信じて之に化す。父兄皆な其の子弟を飭して從わんことを請う。是に由りて閩中の士人之を宗とし、之を四先生と謂う。誕突恣傲にして率う可からざる者有りと雖も、敢えて其の門に禮を失わず。已にして四先生の名四方に傳わり、之に從いて學ぶ者日に益ミ衆し。
現代語訳
当時、学ぶ者はちょうど飾り立てた文章に溺れて、それを互いに高尚だとしていた。いわゆる天を知り性を尽くすという説は、みな指さして迂遠だとして、誰も講じなかった。陳襄は三人とともに、ただこの道をもって海の片隅で声を挙げた。聞いた者は初めみなこれを笑い、そして驚いた。四人は態度を変えず、これを守ることがいっそう固かった。自ら家の中で実践し、家から州や村里へと及ぼしていった。人々はついに信じて感化された。父兄はみな自分の子弟に言いつけて、その門下に入ることを願い出させた。こうして福建の士人はこれを宗とし、これを「四先生」と呼んだ。突飛で傲慢で従わせようのない者がいても、あえてその門で礼を失うことはなかった。やがて四先生の名は各地に伝わり、従って学ぶ者は日ごとに増えていった。
解説
この章句が説くこと
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