宋名臣言行録 / 後集巻四・胡宿
慶厯六年夏河北河東京東同時地震而登萊尤甚公以嵗推之曰明年丁亥嵗之刑徳皆在北宫隂生於子而極於亥然隂猶强而未即伏陽猶㣲而未即勝此所以震也是謂龍戰之㑹而其位在乾今西北二虜中國之隂也宜為之備不然必有内盜起於河朔明年王則以貝州叛
新字:慶厯六年夏河北河東京東同時地震而登萊尤甚公以歳推之曰明年丁亥歳之刑徳皆在北宫陰生於子而極於亥然陰猶强而未即伏陽猶㣲而未即勝此所以震也是謂竜戦之会而其位在乾今西北二虜中国之陰也宜為之備不然必有内盗起於河朔明年王則以貝州叛
書き下し
慶暦六年夏、河北・河東・京東同時に地震あり。而して登・萊尤も甚だし。公歳を以て之を推して曰く、明年丁亥、歳の刑德は皆北宮に在り。陰は子に生じて亥に極まる。然れども陰は猶お強くして未だ即ち伏せず、陽は猶お微にして未だ即ち勝たず。此れ震う所以なり。是を龍戰の會と謂う。而して其の位は乾に在り。今西北の二虜は中國の陰なり。宜しく之が爲に備うべし。然らずんば必ず内盜の河朔に起こる有らんと。明年、王則貝州を以て叛く。
現代語訳
慶暦六年の夏、河北・河東・京東で同時に地震があった。登州・莱州がとりわけひどかった。胡宿は年回りからこれを推して言った。「来年は丁亥、その年の刑と徳はどちらも北の宮にある。陰は子に生じて亥に極まる。しかし陰はなお強くてすぐには伏せず、陽はなお微弱ですぐには勝てない。これが震える理由である。これを龍が戦う会という。その位置は乾にあたる。いま西北の二つの異民族は中国にとっての陰である。これに備えるべきだ。そうでなければ、必ず内側の賊が河朔に起こる」。翌年、王則が貝州で叛いた。
解説
干支と方位から出された予測です。読み解きの部分は、いまの目には通りません。それでも記録として残っているのは、後半が当たったからでした。**必ず内側の賊が河朔に起こる。****翌年、王則が貝州で叛いた。**注目すべきは、結論の出し方です。天変から外の敵を導き、それでも足りなければ内側だ、と二段構えにしています。しかも言っていることは、備えよ、の一点だけでした。
この章句が説くこと
河北河東京東同時に地震あり而して登萊尤も甚だし公歳を以て之を推す今西北の二虜は中国の陰なり宜しく之が為に備うべし然らずんば必ず内盗の河朔に起こる有らん明年王則貝州を以て叛く予兆備え
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