宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
太皇太后聞之詰問主者遣使勞公問所當先者公言近嵗士大夫以言為諱閭閻愁苦於下而上不之知明主憂勤於上而下無所訴其罪在羣臣而愚民無知歸怨先帝宜下詔首開言路從之下詔榜朝堂而當時有不欲者於詔語中設六事以禁切言者曰若隂有所懷犯非其分或扇摇機事之重或迎合巳行之令上以觀望朝廷之意以僥倖希進下以眩惑流俗之情以干取虚譽若此者必罰無赦
新字:太皇太后聞之詰問主者遣使労公問所当先者公言近歳士大夫以言為諱閭閻愁苦於下而上不之知明主憂勤於上而下無所訴其罪在羣臣而愚民無知帰怨先帝宜下詔首開言路従之下詔榜朝堂而当時有不欲者於詔語中設六事以禁切言者曰若陰有所懐犯非其分或扇摇機事之重或迎合巳行之令上以観望朝廷之意以僥倖希進下以眩惑流俗之情以干取虚誉若此者必罰無赦
書き下し
太皇太后之を聞きて主者を詰問し、使を遣わして公を勞い、當に先にすべき所の者を問う。公言う、近歳士大夫は言うを以て諱と爲す。閭閻下に愁苦して上之を知らず。明主上に憂勤して下訴うる所無し。其の罪は羣臣に在り。而して愚民無知にして怨みを先帝に歸す。宜しく詔を下して首めに言路を開くべしと。之に從う。詔を下して朝堂に榜す。而して當時欲せざる者有り、詔語の中に六事を設けて以て言う者を禁切して曰く、若し陰かに懷う所有りて犯すこと其の分に非ず、或いは機事の重きを扇搖し、或いは已に行うの令に迎合し、上は以て朝廷の意を觀望して以て僥倖に進を希い、下は以て流俗の情を眩惑して以て虚譽を干取す。此くの如き者は必ず罰して赦す無しと。
現代語訳
太皇太后はこれを聞いて担当の者を問い詰め、使いを遣わして司馬光を労い、まず何をすべきかを尋ねた。司馬光は言った。「近年、士大夫は物を言うことを禁忌としております。里の人々は下で愁え苦しんでいるのに、上はそれを知らない。明君は上で憂え励んでおられるのに、下には訴えるところがない。その罪は群臣にあります。それでいて無知な民は、怨みを先帝に帰しております。詔を下して、まず言路を開くべきです」。これに従った。詔を下して朝堂に掲げた。ところが当時それを望まない者がいて、詔の文言の中に六か条を設けて、物を言う者を締めつけた。こうある。「もしひそかに含むところがあって、その分を越えて犯す者、あるいは機密の重大事を煽り動かす者、あるいはすでに施行された令に迎合する者、上に対しては朝廷の意向をうかがって僥倖に登用を望む者、下に対しては世俗の心を惑わせて虚しい名声を得ようとする者。このような者は必ず罰して赦さない」。
解説
この章句が説くこと
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