宋名臣言行録 / 後集巻五・吕誨
然人主猶采物論朝廷正人未盡去公議有所屬言事者斥逐相望而後來者其言愈厲至濮議執政議稱王為考是也遂欲稱王為伯陋矣葢兩言者各率其私意而不知考據於載籍皆不學之過故各有得失然爭論至於紛紜連年洶洶者葢由言路不通故如此皆執政自用好勝激之使然也
新字:然人主猶采物論朝廷正人未尽去公議有所属言事者斥逐相望而後来者其言愈厲至濮議執政議称王為考是也遂欲称王為伯陋矣葢両言者各率其私意而不知考拠於載籍皆不学之過故各有得失然争論至於紛紜連年洶洶者葢由言路不通故如此皆執政自用好勝激之使然也
書き下し
然れども人主猶お物論を采り、朝廷の正人未だ盡くは去らず、公議に屬する所有り。言事者の斥逐相い望むも、而して後來の者は其の言愈ミ厲し。濮議に至りて執政の王を稱して考と爲すを議するは是なり。遂に王を稱して伯と爲さんと欲するは陋なり。蓋し兩ながら言う者は各ミ其の私意に率いて、載籍に考據するを知らず。皆不學の過なり。故に各ミ得失有り。然れども爭論の紛紜に至り、連年洶洶たる者は、蓋し言路の通ぜざるに由る。故に此くの如し。皆執政の自用好勝、之を激して然らしむるなり。
現代語訳
それでも君主はなお世の議論を採り、朝廷の正しい人がすべて去ったわけではなく、公の議論には拠りどころがあった。意見を述べる者が追われることは相次いだが、後から来る者の言葉はいよいよ激しくなった。濮議に至って、執政が濮王を「考」と称することを議したのはそのとおりである。そのうえで濮王を「伯」と称そうとしたのは、浅はかである。思うに、両方の論者はそれぞれ自分の思いつきに従って、書物に照らして確かめることを知らなかった。どちらも学ばなかった過ちである。だからそれぞれに得失がある。しかし、争論が紛糾して何年も騒がしくなったのは、思うに言論の路が通じていないことによる。だからこうなったのだ。すべて執政が自分の考えを押し通して勝ちたがり、それを煽った結果、こうなったのである。
解説
長い記録の締めくくりで、書き手は両陣営を等しく退けます。**両方の論者はそれぞれ自分の思いつきに従って、書物に照らして確かめることを知らなかった。どちらも学ばなかった過ちである。**どちらが正しいかを裁いていません。そのうえで、長引いた原因を別のところに置きました。**争論が紛糾して何年も騒がしくなったのは、言論の路が通じていないことによる。**中身の対立ではなく、届かないことが争いを長くした、と。そして名指しで締めます。**執政が自分の考えを押し通して勝ちたがり、それを煽った結果である。**
この章句が説くこと
言事者の斥逐相い望むも而して後来の者は其の言愈ミ厲し両ながら言う者は各ミ其の私意に率いて載籍に考拠するを知らず皆不学の過なり争論の紛紜に至り連年洶洶たる者は蓋し言路の通ぜざるに由る皆執政の自用好勝之を激して然らしむるなり論争不学
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『宋名臣言行録』後集巻五・吕誨治平元年、孫覺余を過ぎりて言いて曰く、聞くならく臺官は數ミ事を言うも用いられざるを以て、相い謂いて言う、小事を言うは去就を決するに足らず。當に共に濮王の事を爭うべし。聽かれずんば則ち決して去らんと。蓋し是の時、知雜御史呂誨・呂大防・范純仁等と諫官司馬光と、數ミ孫固の庸回、王廣淵の姦邪にして當に用うべからざるを論ず。其の言愈ミ切なるも、之を用うること愈ミ堅し。事の此の類の如き者甚だ衆し。凡そ臺諫官の言入れば、輒ち進呈を以て之を訖寢す。時人之を訖了と謂う。范純仁言う、臺吏も亦た之が爲に沮赧す。毎に御史に白して曰く、某事又た訖了せりと。蓋し執政方に權を恃みて、一切を以て言者を阻まんと欲す。而して言者は職を塞ぐ能わざるを愧と爲し、且つ憤る。故に相い約すること此くの如し。
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『宋名臣言行録』後集巻五・吕誨覺の余に語るは、時に正月初五六の間なり。後數日、果たして臺官の濮王の事を論ずること甚だ急なるを聞く。上元の後に至り、誨等の疏已に七八たび上るも聽かれず。遂に皆勅告を納れて罷め去らんことを求め、家居して復た職に供せず。
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