宋名臣言行録 / 後集巻三・文彦博
數日問歐陽脩脩具以朝議為對上曰彦博有才然膽大弼前在政府甚好今復來恐多顧慮良久又曰弼前深為人所中傷今來亦焉能不顧慮然不若守前志不變也既而彦博恐不能謹畏後因郭申錫李傪争塞河事彦博意有所左右上由此罷之弼亦竟以多顧慮少所建明皆如上所料
新字:数日問欧陽脩脩具以朝議為対上曰彦博有才然胆大弼前在政府甚好今復来恐多顧慮良久又曰弼前深為人所中傷今来亦焉能不顧慮然不若守前志不変也既而彦博恐不能謹畏後因郭申錫李傪争塞河事彦博意有所左右上由此罷之弼亦竟以多顧慮少所建明皆如上所料
書き下し
數日、歐陽脩に問う。脩具さに朝議を以て對う。上曰く、彦博に才有り。然れども膽大なり。弼は前に政府に在りて甚だ好し。今復た來たらば、恐らくは顧慮多からんと。良や久しくして又た曰く、弼は前に深く人の中傷する所と爲る。今來たるも、亦た焉んぞ能く顧慮せざらんや。然れども前志を守りて變ぜざるに若かざるなりと。既にして彦博は恐らくは謹畏する能わず。後に郭申錫・李傪の河を塞ぐ事を爭うに因り、彦博の意に左右する所有り。上此に由りて之を罷む。弼も亦た竟に顧慮多く建明する所少なきを以て、皆上の料る所の如し。
現代語訳
数日して、欧陽脩に問うた。欧陽脩はこまごまと朝廷の議論をもって答えた。天子は言った。「彦博には才がある。しかし胆が大きい。弼は以前政府にあってたいそう良かった。いままた来れば、おそらく気を回しすぎるだろう」。長く黙ってからまた言った。「弼は以前、深く人の中傷を受けた。いま来ても、どうして気を回さずにいられようか。しかし、以前の志を守って変えないのに越したことはないのだが」。やがて文彦博は、やはり慎み畏れることができなかった。後に郭申錫と李傪が河を塞ぐ件で争ったとき、文彦博の考えに肩入れするところがあった。天子はこれによって罷免した。富弼もまた結局、気を回しすぎて建言することが少なかった。すべて天子が見込んだとおりであった。
解説
任命した直後に、二人がどこで崩れるかを言い当てています。長所の裏側を見ていました。**彦博には才がある。しかし胆が大きい。****弼は以前、深く人の中傷を受けた。いま来ても、どうして気を回さずにいられようか。**片方は思い切りが過ぎ、片方は慎重が過ぎる。しかも富弼については、原因まで分かっています。前に潰されかけた経験が、次の慎重さを作る。**すべて天子が見込んだとおりであった。**分かっていて、それでも二人を使ったところが、この条のもう一つの読みどころです。
この章句が説くこと
彦博に才有り然れども胆大なり弼は前に政府に在りて甚だ好し今復た来たらば恐らくは顧慮多からん弼は前に深く人の中傷する所と為る皆上の料る所の如し人物評先見
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻八・龎籍公、鄆より并に徙り、京師を過ぎて上に謁す。是の時、上、新たに文・富を用いて相と為し、自ら以て人を得たりと為す。公に謂いて曰く、朕、新たに二相を用う。如何と。公曰く、二臣は甚だ天下の望に副うと。上曰く、誠に卿の言の如し。文彦愽は猶お私多し。富弼に至りては、萬口詞を同じくして、皆な賢相なりと云うと。公曰く、彦愽は臣、頃ろ之と同に中書に在り。詳らかに其の為す所を知る。實に私する所無し。但だ之を惡む者、之を毁るのみ。况んや前者、謗を被りて出づ。今、當に愈々畏慎すべし。富弼は頃ろ樞宻副使と為り、未だ大政を執らず。朝士大夫、未だ之と怨みを為す者有らず。故に交々口に之を譽め、其の進用を冀いて、已に利する所有り。若し富弼、陛下の爵祿を以て私恩を樹てば、則ち忠臣に非ず。何ぞ賢とするに足らんや。若し一に公議を以て之を槩すれば、則ち向の譽むる者、今、轉じて謗と為らん。此れ陛下の宜しく深く察すべき所なり。且つ陛下、既に二臣の賢を知りて之を用う。則ち當に之を信ずること堅く、之に任ずること乆しくして、然る後に以て成功を責む可し。若し一人の言を以て之を進め、又た一人の言を以て之を疑わば、臣、恐らくは太平、致し易からざらんと。上曰く、卿の言、是なりと。
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『宋名臣言行録』後集巻三・文彦博至和中、陳執中相と爲る。臺官趙抃等言う、執中に材行無し、任ず可からずと。歐陽脩も亦た上書して執中を退けんことを請う。議久しく決せず。左右怪しむ、仁宗遊燕を少なくし、黙して思う所有り、焦勞色に見わるるを。居ること月餘、此くの如し。因りて問う。上に曰く、陛下は陳執中に代わる者を思うに非ざるを得んやと。上曰く、然りと。左右乃ち曰く、執中に代わる者は得易きのみ。何ぞ此に至らんやと。上曰く、此の老子は却って人を慢る可しと。之を久しくして始めて文・富を用いて之に代う。朝議皆人を得たりと謂う。
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『宋名臣言行録』後集巻三・文彦博至和の初め、陳恭公相を罷め、並びに文・富を用う。麻を宣するの際、上小黄門を遣わし、密かに百官の班中に於いて其の議論を聽かしむ。二公久しく人望有り。一旦復た用いられて朝士相い賀す。黄門具さに奏す。上大いに悅ぶ。予は學士爲り。後數日、垂拱殿に奏事す。上問う、新たに除する彦博等、外議如何と。余、朝士相い賀するを以て對う。上曰く、古の君の人を用うるは或いは夢卜を以てす。苟くも人を知らずんば、當に人望に從うべし。夢卜豈に憑むに足らんやと。故に余、文公の批答を作りて云う、永く商周の記す所を惟うに、夢卜を以て賢を求むるに至る。孰か搢紳の公言を用い、中外の人望に從うに若かんやと。上の語を具述するなり。
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『宋名臣言行録』後集巻三・文彦博寶元中、河東に漕使を闕く。堂上に議して、任ず可き者を得難しとす。章郇公言う、聞くならく搢紳の間に文彦博なる者を説く、磊落にして稱有りと。呂許公曰く、識らざるを恨む。召し來たらしめて面ミ之を詢う可しと。明日、召して堂上に至る。退きて許公歎じて曰く、此れ大いに福有る人なり。何の任用する所か不可ならんと。遂に殿中侍御史より差委す。明年、就いて待制に遷る。十年を出でずして、出でては將、入りては相たり。
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼至和二年、召されて集賢相を拜す。文彦博と並び命ぜらる。制を宣するの日、士夫朝に相い慶す。仁宗密かに覘いて之を知り、侍臣歐陽修に謂いて曰く、古の相を求むる者は、或いは之を夢卜に得たり。今朕二相を用いて人情此くの如し。豈に夢卜に賢らずや。修頓首して賀を稱す。
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『宋名臣言行録』後集巻三・文彦博一日、公義問に謂いて曰く、仁宗の朝、先參政は臺官爲り。彦博を言うを以て謫せらる。彦博も亦た相を罷めて許州を判す。未だ幾ならずして彦博復た召されて相位に還る。即ち上言す、唐某の言う所は正に臣の罪に中たる。臣を召して唐某を召さずんば、臣敢えて行かずと。仁宗彦博の言を用い、參政を起こして潭州を判せしむ。尋いで大用に至る。彦博と執政を用うるに相知ること深しと爲すと。義問公の言を聞くに至りて感泣す。此れより公の門下に出入す。後に薦めて以て集賢殿修撰と爲し、荊南に帥たらしむ。公の德度の人に絶するは此くの如し。