宋名臣言行録 / 後集巻五・范鎮
元祐初首以詔起公曰西伯善養二老來歸漢室卑詞四臣入侍為我強起無或憚勤天下望公與温公同升矣公辭曰六十三而求去葢以引年七十九而復來豈云中禮卒不起先是蔡京見公曰上將起公矣公正色曰鎮以論新法不合得罪一旦先帝棄天下其可因以為利乎故公卒不為元祐二聖一起
新字:元祐初首以詔起公曰西伯善養二老来帰漢室卑詞四臣入侍為我強起無或憚勤天下望公与温公同升矣公辞曰六十三而求去葢以引年七十九而復来豈云中礼卒不起先是蔡京見公曰上将起公矣公正色曰鎮以論新法不合得罪一旦先帝棄天下其可因以為利乎故公卒不為元祐二聖一起
書き下し
元祐の初め、首めて詔を以て公を起こして曰く、西伯善く二老を養い、來たりて漢室に歸す。詞を卑くして四臣入侍す。我が爲に強いて起て。或いは勤を憚る無かれ。天下は公と溫公と同に升るを望むと。公辭して曰く、六十三にして去るを求む。蓋し年を引くを以てなり。七十九にして復た來たらば、豈に禮に中ると云わんやと。卒に起たず。是より先、蔡京公に見えて曰く、上將に公を起こさんとすと。公色を正して曰く、鎮は新法を論じて合わざるを以て罪を得たり。一旦先帝天下を棄つるに、其れ因りて以て利と爲す可けんやと。故に公卒に元祐二聖の爲に一たびも起たず。
現代語訳
元祐のはじめ、まず詔をもって范鎮を起用して言った。「西伯はよく老を養い、二人の老人が来て帰した。言葉を低くして四人の臣が宮中に侍った。我がために無理にでも立ってほしい。労を憚ることのないように。天下は公と司馬光がともに登ることを望んでいる」。范鎮は辞退して言った。「六十三で辞去を願いました。年齢を理由としたのです。七十九になってふたたび出るのが、どうして礼にかなうと言えましょうか」。ついに立たなかった。これより先、蔡京が范鎮に会って言った。「主上がまさにあなたを起用されようとしています」。范鎮は顔つきを改めて言った。「鎮は新法を論じて合わなかったことで罪を得た。ひとたび先帝が天下を棄てられたからといって、それに乗じて利としてよいものか」。だから范鎮はついに元祐の二聖のために、一度も立たなかった。
解説
この章句が説くこと
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説苑・說叢時至らざれば、強いて生ずべからず。事究めざれば、強いて求むべからず。貞良にして亡ぶるは、先人の餘殃なり。猖獗にして活くるは、先人の餘烈なり。權は重きを取り、澤は長きを取る。才賢にして任輕ければ則ち名有り、不肖にして任大なれば身死し名廢る。
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論語・郷党篇色みて斯に挙がり、翔りて後に集まる。曰く、「山梁の雌雉、時なるかな、時なるかな。」子路之を共す。三たび嗅ぎて作つ。
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説苑・說叢時なるかな、時なるかな。間謀に及ばず。時の極みに至れば、間息を容れず。勞して體せざれば、亦た將に自ら息わんとす。有りて施さざれば、亦た將に自ら得んとす。
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説苑・建本子路曰わく、重きを負い道遠き者は地を択びて休まず、家貧しく親老いたる者は禄を択びて仕えず、と。昔者由二親に事うるの時、常に藜藿の実を食して親の為に米を百里の外に負う。親没するの後、南のかた楚に遊び、車百乗に従い、粟を積むこと万鍾、茵を累ねて坐し、鼎を列ねて食う。藜藿を食い米を負いし時を願うも復た得可からず。枯魚索を銜んで、幾何ぞ蠹まざらん。二親の寿は忽ち隙を過ぐるが如し。草木長ぜんと欲するも霜露は使さず。賢者養わんと欲するも二親待たず。故に曰わく、家貧しく親老いたれば禄を択びて仕うと。
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呂氏春秋・愼人②舜の耕漁せしときも、其の賢不肖は天子為ると同じ。其の未だ時に遇わざるや、其の徒屬を以て、地財を掘り、水利を取り、蒲葦を編み、罘網を結び、手足胼胝するも居まず。然る後に凍餒の患いを免れたり。其の時に遇うや、登りて天子と為り、賢士之に歸し、萬民之を譽め、丈夫女子、振振殷殷として、戴き説ばざるは無し。舜自ら詩を為りて曰く、「普天の下、王土に非ざるは莫し。率土の濱、王臣に非ざるは莫し。」盡く之を有するを見わす所以なり。盡く之を有するも、賢なること加わるに非ざるなり。盡く之れ無きも、賢なること損するに非ざるなり。時然らしむるなり。
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呂氏春秋・首時⑤飢馬厩に盈ちて嗼然たるは、未だ芻を見ざればなり。飢狗窖に盈ちて嗼然たるは、未だ骨を見ざればなり。骨と芻とを見れば、動くこと禁ず可からず。亂世の民嗼然たるは、未だ賢者を見ざればなり。賢人を見れば則ち往くこと止む可からず。往くとは其の形に非ず、心を之れ謂うか。齊は東帝を以て天下に困しみ、而して魯は徐州を取れり。邯鄲は壽陵を以て萬民に困しみて、而して衛は繭氏を取れり。魯・衛の細を以て、皆志を大國に得たるは、其の時に遇えばなり。故に賢主秀士の黔首を憂えんと欲する者は、亂世之に當たれり。天は再び與えず、時は久しく留まらず。能は兩つながら工ならず、事之に當たるに在り。