宋名臣言行録 / 前集巻三・張詠
公守蜀兵火之餘人懐反側一日合軍大閲始出衆遂嵩呼者三公亦下馬東望而三呼復攬轡行衆不敢讙或以告魏公公曰當是時琦亦不敢措置
新字:公守蜀兵火之余人懐反側一日合軍大閲始出衆遂嵩呼者三公亦下馬東望而三呼復攬轡行衆不敢讙或以告魏公公曰当是時琦亦不敢措置
書き下し
公、蜀を守る。兵火の餘、人反側を懐く。一日、軍を合わせて大いに閲す。始めて出づるに、衆遂に嵩呼する者三たびなり。公も亦た馬を下り、東に望みて三たび呼ぶ。復た轡を攬りて行く。衆敢えて讙せず。或ひと以て魏公に告ぐ。公曰く、當に是の時、琦も亦た敢えて措置せずと。
現代語訳
公が蜀を守っていた。戦火のあとで、人々は落ち着かない心を抱いていた。ある日、軍をそろえて大がかりな閲兵をした。公が出てきたとき、兵たちが万歳を三度叫んだ。公もまた馬を下り、東を向いて三度唱えた。そしてまた手綱を取って進んだ。兵たちはそれ以上騒がなかった。ある人がそれを韓琦(魏公)に話した。韓琦は言った。「あのときであれば、私もやはり手の打ちようがなかっただろう」。
解説
閲兵で兵が万歳を三度叫んだ、という危うい場面です。将に向けた万歳は、擁立の合図になりかねません。**公は馬を下り、東を向いて三度唱えました。**東は都の方角です。自分に向けられた声を、そのまま皇帝への声に付け替えたことになります。何も言わず、叱らず、隊列を乱さない。後年の韓琦が「私もやはり手の打ちようがなかった」と評したのは、この一手のことでした。
この章句が説くこと
公も亦た馬を下り東に望みて三たび呼ぶ衆遂に嵩呼する者三たびなり当に是の時琦も亦た敢えて措置せず危機機転忠誠
関連する章句
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