宋名臣言行録 / 前集巻三・張詠
蘇軾書公帖後云以寛得愛愛止于一時以嚴得畏畏止于力之所及故寛而見畏嚴而見愛皆聖賢之難事所及者逺矣張公治蜀用法之嚴似孔明孔明與公遺愛皆至今葢尸而祝之社而稷之也
新字:蘇軾書公帖後云以寛得愛愛止于一時以厳得畏畏止于力之所及故寛而見畏厳而見愛皆聖賢之難事所及者遠矣張公治蜀用法之厳似孔明孔明与公遺愛皆至今葢尸而祝之社而稷之也
書き下し
蘇軾、公の帖の後に書して云う、寛を以て愛を得るも、愛は一時に止まる。嚴を以て畏を得るも、畏は力の及ぶ所に止まる。故に寛にして畏れられ、嚴にして愛せらるるは、皆な聖賢の難事なり。及ぶ所の者は逺し。張公の蜀を治むるに法を用うるの嚴なるは孔明に似たり。孔明と公の遺愛は皆な今に至る。葢し尸して之を祝し、社して之を稷するなり。
現代語訳
蘇軾が公の書き付けの後に書いてこう言った。「寛やかであることによって愛を得ても、その愛は一時にとどまる。厳しくあることによって畏れを得ても、その畏れは力の及ぶ範囲にとどまる。だから、寛やかでありながら畏れられ、厳しくありながら愛される、というのはどちらも聖賢にとっての難事である。そこまで及ぶ人は、遠くまで届く。張公が蜀を治めるのに法を用いた厳しさは、諸葛孔明に似ている。孔明と張公が残した愛は、どちらも今に至るまで続いている。人々は位牌を立てて祀り、社を建てて祭っている」。
解説
張詠の巻を締めくくる、蘇軾の評です。二行で条件を割っています。**寛やかで得た愛は一時にとどまり、厳しくして得た畏れは力の及ぶ範囲にとどまる。**どちらも長くは効かない。だから寛やかでありながら畏れられ、厳しくありながら愛されるのが難しいのだ、と。孔明と並べたところが評価の高さです。厳しさが行き過ぎに見える条をいくつも並べたあとに、この一条が置かれています。
この章句が説くこと
寛を以て愛を得るも愛は一時に止まる厳を以て畏を得るも畏は力の及ぶ所に止まる寛にして畏れられ厳にして愛せらるるは皆な聖賢の難事なり寛厳愛畏れ
関連する章句
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