宋名臣言行録 / 後集巻三・文彦博
唐介為御史論公専權植黨交結宫禁仁宗怒召二府示之疏唐公語益切樞副梁公適叱唐公下殿詔送臺劾之公獨留再拜曰御史言事職也願不加罪於是唐公既貶公亦罷相其後公再入相首薦唐公復召用焉
新字:唐介為御史論公専権植党交結宫禁仁宗怒召二府示之疏唐公語益切枢副梁公適叱唐公下殿詔送台劾之公独留再拝曰御史言事職也願不加罪於是唐公既貶公亦罷相其後公再入相首薦唐公復召用焉
書き下し
唐介御史と爲り、公の權を專らにし黨を植え宮禁に交結すと論ず。仁宗怒り、二府を召して之に疏を示す。唐公の語益ミ切なり。樞副梁公適、唐公を叱して殿を下らしめ、詔して臺に送りて之を劾せしむ。公獨り留まりて再拜して曰く、御史の言事は職なり。願わくは罪を加うる勿かれと。是に於いて唐公既に貶せられ、公も亦た相を罷む。其の後、公再び相に入り、首めに唐公を薦めて復た召し用う。
現代語訳
唐介が御史となり、文彦博が権を独占し、党派を作り、宮中と結んでいると論じた。仁宗は怒り、中書と枢密を召してその上疏を示した。唐介の言葉はますます切実になった。枢密副使の梁適は唐介を叱って殿を下がらせ、詔して御史台に送って取り調べさせようとした。文彦博ひとりが残って二度拝礼して言った。「御史が事を言うのは、その職務です。どうか罪をお加えになりませんよう」。こうして唐介はすでに貶められ、文彦博もまた宰相を罷めた。その後、文彦博は再び宰相に入り、まっさきに唐介を推薦してふたたび召し用いた。
解説
弾劾された当人が、その場に残って弾劾者を庇っています。理由は個人的な寛大さではありませんでした。**御史が事を言うのは、その職務です。**内容が正しいかどうかを争っていない。その職の存在意義のほうを守っています。ここで唐介が罰されれば、次から御史は宰相を弾劾できなくなる。願いは通らず、二人とも去りました。そして復帰後の一手が締めです。**まっさきに唐介を推薦してふたたび召し用いた。**
この章句が説くこと
唐介御史と為り公の権を専らにし党を植え宮禁に交結すと論ず御史の言事は職なり願わくは罪を加うる勿かれ唐公既に貶せられ公も亦た相を罷む其の後公再び相に入り首めに唐公を薦めて復た召し用う弾劾職分
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻三・文彦博一日、公義問に謂いて曰く、仁宗の朝、先參政は臺官爲り。彦博を言うを以て謫せらる。彦博も亦た相を罷めて許州を判す。未だ幾ならずして彦博復た召されて相位に還る。即ち上言す、唐某の言う所は正に臣の罪に中たる。臣を召して唐某を召さずんば、臣敢えて行かずと。仁宗彦博の言を用い、參政を起こして潭州を判せしむ。尋いで大用に至る。彦博と執政を用うるに相知ること深しと爲すと。義問公の言を聞くに至りて感泣す。此れより公の門下に出入す。後に薦めて以て集賢殿修撰と爲し、荊南に帥たらしむ。公の德度の人に絶するは此くの如し。
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『宋名臣言行録』後集巻五・唐介未だ幾ならずして堯佐復た宣徽使を除せられ河陽を知す。公又た獨り之を爭うも奪う能わず。仁宗諭して曰く、除擬は初め中書より出づと。公遂に極言す、宰相文彦博は益州を知するの日、燈籠錦を以て貴妃に媚びて相位を致す。今又た宣徽使を以て堯佐に結ぶ。彦博を逐いて富弼を相とせんことを請うと。又た言う、吳奎は觀望して姦を挾むと。語甚だ切直なり。仁宗怒りて其の奏を卻けて視ず、且つ言う、將に介を貶竄せんと。
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『宋名臣言行録』後集巻五・唐介介徐ろに讀み畢わりて曰く、臣の忠義憤激、鼎鑊と雖も避けずと。上急ぎ二府を召し、疏を以て之に示して曰く、介の他事を言うは乃ち可なり。彦博は貴妃に因りて政を得たりと謂うに至りては、此れ何の言ぞやと。介面ミ彦博に質して曰く、彦博宜しく自ら省みよ。即し之有らば隱す可からずと。彦博拜謝して已まず。樞副梁適、介を叱して殿を下らしむ。介の諍い愈ミ切なり。仁宗大いに怒り、玉音甚だ厲し。衆禍の不測に出づるを恐る。是の時蔡襄、起居注を脩めて殿陛に立つ。即ち進みて曰く、介は誠に狂直なり。然れども諫を納れ言を容るるは人主の美德なり。必ず全貸せんことを望むと。遂に當制の舍人を殿廬に召して制を草せしめ、秦州別駕に貶す。翊日、英州別駕に改め、復た其の奏を取りて以て入る。又た明日、彦博を罷めて吳奎を出だす。而して中使を遣わして介を貶所に護送せしめ、且つ戒むるに必ず之を全うして道に死せしむる無かれと以てす。
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『宋名臣言行録』後集巻三・文彦博元豐の間、公太尉を以て西京に留守す。未だ印を交えずして、先に第に就き廟に坐して監司・府官に見ゆ。唐參政介の子義問、運判爲り。退きて其の客尹渙に謂いて曰く、先公臺官爲り。嘗て潞公を言えり。今豈に挾みて恨みと爲さざらんや。當に之を避くべしと。渙曰く、公の爲す所は必ず理有らん。姑く之を聽けと。明日、公府事を交え、次を以て監司・府官に見ゆること常儀の如し。或るひと以て公に問う。公曰く、吾未だ府事を視ざれば、三公の庶僚に見ゆるなり。既に印を交うれば、河南知府の監司に見ゆるなりと。義問之を聞き、復た渙に謂いて曰く、君微かりせば、殆ど潞公に失有らんとすと。