宋名臣言行録 / 前集巻六・晏殊
公留守南京大興學校以教諸生自五代以來天下學廢興自公始
新字:公留守南京大興学校以教諸生自五代以来天下学廃興自公始
書き下し
公、南京に留守し、大いに學校を興して以て諸生を教う。五代より以来、天下の學廢る。興るは公より始まる。
現代語訳
公は南京の留守となり、大いに学校を興して学生たちを教えた。五代以来、天下の学校は廃れていた。それが興ったのは、公から始まる。
解説
二十六字の条です。五代以来、天下の学校は廃れていた。それが興ったのは、公から始まる。この南京(応天府)の学校が、後の范仲淹を育てる場所になります。前に呂夷簡が「州にみな学校を立てさせるよう求めた」条がありましたが、こちらは実際に一つを立てて教えた記録です。制度を求めることと、一か所を実際に興すことは別だ、という並びになっています。
この章句が説くこと
公南京に留守し大いに学校を興して以て諸生を教う五代より以来天下の学廃る興るは公より始まる学校実践始まり
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