宋名臣言行録 / 前集巻三・曹瑋
知渭州圖涇原環慶兩路山川城郭戰守之要以獻真宗留其一樞宻院以其一付本路使諸將出兵皆按圖議事
新字:知渭州図涇原環慶両路山川城郭戦守之要以献真宗留其一枢密院以其一付本路使諸将出兵皆按図議事
書き下し
渭州を知る。涇原・環慶兩路の山川・城郭・戰守の要を圖して以て獻ず。真宗其の一を樞宻院に留め、其の一を以て本路に付す。諸將をして兵を出ださしむるに、皆な圖に按じて事を議す。
現代語訳
渭州の長官となった。涇原・環慶の二路の山川、城郭、攻守の要点を図にして献上した。真宗はその一部を枢密院に留め、もう一部を現地の路に渡した。諸将が出兵するときは、みなその図に照らして事を議した。
解説
地図を二部作って、一部を中央に、一部を現地に置いた条です。同じ図を上と現場が持っている、という状態を作りました。諸将が出兵するときは、みなその図に照らして議したとあります。議論の前に、見ているものを揃えておく。曹彬の子である曹瑋の記録が、この一条から始まっているのが、この人の性格を示しています。議論の前に、見ているものを揃えておくという手順です。
この章句が説くこと
山川城郭戦守の要を図して以て献ず其の一を枢密院に留め其の一を以て本路に付す其の一を枢宻院に留め其の一を以て本路に付す諸将をして兵を出ださしむるに皆な図に按じて事を議す地図共有
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