宋名臣言行録 / 前集巻九・王質
文正作舍人時家甚虚嘗貸人金以贍昆弟過期不入輟所乗馬以償之公因閱家藏書而得其劵召家人示之曰此前人清風吾軰當奉而不墜宜祕藏之又得顔魯公爲尚書時乞米於李大夫墨帖刻石以模之遍遺親友終身不貪所至有冰蘗聲
新字:文正作舎人時家甚虚嘗貸人金以贍昆弟過期不入輟所乗馬以償之公因閱家蔵書而得其劵召家人示之曰此前人清風吾軰当奉而不墜宜秘蔵之又得顔魯公為尚書時乞米於李大夫墨帖刻石以模之遍遺親友終身不貪所至有冰蘗声
書き下し
文正、舍人と作る時、家甚だ虚し。嘗て人に金を貸して以て昆弟を贍う。期を過ぎて入れず。乗る所の馬を輟めて以て之を償う。公、家藏の書を閱するに因りて其の劵を得たり。家人を召して之に示して曰く、此れ前人の清風なり。吾が軰、當に奉じて墜さざるべし。宜しく之を祕藏すべしと。又た顔魯公の尚書と爲りし時、米を李大夫に乞う墨帖を得たり。石に刻して以て之を模し、遍く親友に遺る。終身貪らず。至る所に冰蘗の聲有り。
現代語訳
王旦が舎人であったころ、家はたいそう乏しかった。かつて人から金を借りて兄弟を養った。期日を過ぎて返せなかった。乗っていた馬を手放してそれを返した。公は家に蔵していた書を調べていて、その証文を見つけた。家の者を呼んで見せて言った。「これは前の人の清らかな気風だ。我らは受け継いで落とさないようにすべきだ。これは秘蔵しておきなさい」。さらに顔真卿が尚書であったころ、李大夫に米を乞うた墨蹟を手に入れた。石に刻んで写しを取り、あまねく親友に贈った。生涯、貪らなかった。行く先々で氷と黄檗のような清らかさの評判があった。
解説
家の蔵から、**借金の証文が出てきた**条です。ふつうなら隠すものでしょう。**これは前の人の清らかな気風だ。我らは受け継いで落とさないようにすべきだ。これは秘蔵しておきなさい。**貧しかった証拠を、家宝にしました。もう一つ手に入れたのが**顔真卿が米を乞うた手紙**です。それを石に刻んで、親友に配っています。**乞うた記録のほうを、配って回った。**
この章句が説くこと
乗る所の馬を輟めて以て之を償う此れ前人の清風なり吾が軰当に奉じて墜さざるべし宜しく之を秘蔵すべし顔魯公の米を李大夫に乞う墨帖を石に刻して遍く親友に遺る清貧家宝記録
関連する章句
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