宋名臣言行録 / 前集巻一・竇儀
儼顯徳中上疏言六綱一曰明禮二曰崇樂三曰熙政四曰正刑五曰勸農六曰經武
新字:儼顕徳中上疏言六綱一曰明礼二曰崇楽三曰熙政四曰正刑五曰勧農六曰経武
書き下し
儼、顯徳中、上疏して六綱を言う。一に曰く禮を明らかにす、二に曰く樂を崇ぶ、三に曰く政を熙す、四に曰く刑を正す、五に曰く農を勸む、六に曰く武を經む。
現代語訳
竇儼は顕徳年間に上疏して、六つの綱目を述べた。第一に礼を明らかにすること、第二に楽を尊ぶこと、第三に政を盛んにすること、第四に刑を正すこと、第五に農を勧めること、第六に武を整えること。
解説
竇儀の弟、竇儼の上疏を六語で記した条です。礼・楽・政・刑・農・武の六つを綱に立てました。並び順に意味があります。**礼と楽が先に来て、刑は四番目、武は最後。**同じころ趙普が「権を奪い、財を握り、精鋭を収める」と三つに絞ったのと比べると、同じ王朝の立ち上がりに、まるで違う設計図が二枚あったことが分かります。この書は両方を並べて残しています。
この章句が説くこと
一に曰く礼を明らかにす二に曰く楽を崇ぶ四に曰く刑を正す五に曰く農を勧む六に曰く武を経む上疏して六綱を言う方針順序設計
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