宋名臣言行録 / 後集巻四・蔡襄
范仲淹貶知饒州余靖上䟽論救尹洙請與同貶歐陽修移書責司諌髙若訥皆坐貶公作四賢一不肖詩以記其事四賢謂仲淹靖洙脩不肖斥若訥也其詩播於都下士人争寫之鬻書者市之頗獲厚利
新字:范仲淹貶知饒州余靖上䟽論救尹洙請与同貶欧陽修移書責司諌高若訥皆坐貶公作四賢一不肖詩以記其事四賢謂仲淹靖洙脩不肖斥若訥也其詩播於都下士人争写之鬻書者市之頗獲厚利
書き下し
范仲淹貶せられて饒州を知す。余靖上疏して論救す。尹洙同じく貶せられんことを請う。歐陽脩書を移して司諫髙若訥を責む。皆坐して貶せらる。公四賢一不肖詩を作りて以て其の事を記す。四賢とは仲淹・靖・洙・脩を謂い、不肖とは若訥を斥すなり。其の詩都下に播り、士人爭いて之を寫す。書を鬻ぐ者之を市にして頗る厚利を獲たり。
現代語訳
范仲淹が貶められて饒州の知事となった。余靖が上疏して弁護した。尹洙は同じく貶められることを願い出た。欧陽脩は手紙を送って司諫の高若訥を責めた。みな連座して貶められた。蔡襄は「四賢一不肖詩」を作ってその事を記した。四賢とは仲淹・靖・洙・脩を指し、不肖とは若訥を指したものである。その詩は都に広まり、士人は争って書き写した。書物を売る者はこれを商品にして、たいそう厚い利益を得た。
解説
処分された四人を讃え、諫官一人を名指しで貶す詩です。危ない文章のはずでした。実際に起きたのは別のことです。**その詩は都に広まり、士人は争って書き写した。書物を売る者はこれを商品にして、たいそう厚い利益を得た。**朝廷が退けた人たちを讃える詩が、市場で売れている。処分は下されたのに、世論はそちらに動いていました。後に張方平が「朝廷が軽くなった」と嘆いた時代の、始まりの光景でもあります。
この章句が説くこと
尹洙同じく貶せられんことを請う公四賢一不肖詩を作りて以て其の事を記す其の詩都下に播り士人争いて之を写す書を鬻ぐ者之を市にして頗る厚利を獲たり詩世論
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『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修范文正は忠亮讜直、言に囘避無し。左右便とせず、因りて公は大臣を離間すと言い、貶して饒州を知らしむ。余靖上疏して論救す。朋黨を以て坐して貶せらる。尹洙上言す、靖と仲淹との交わりは淺し。臣の仲淹に於けるは義に師友を兼ぬ。當に從いて坐貶せらるべしと。郢州の稅を監せしむ。公書を貽りて司諫髙若訥の其の辜に非ざるを辨ずる能わざるを責む。若訥大いに怒り、其の書を繳奏す。夷陵令に降授せらる。公復た師魯に書して云う、五六年來、此の輩は沈黙畏慎して世間に布く。忽ち吾輩の此の事を作すを見て、下は竈間の老婢に至るまで亦た相い驚き怪しむと。時に蔡襄、四賢一不肖詩を作りて以て之を歌う。
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