宋名臣言行録 / 後集巻五・趙抃
荆公初參政下視廟堂如無人一日爭新法怒目諸公曰公輩坐不讀書耳公同參政事獨折之曰君言失矣如臯夔稷契之時何書可讀荆公黙然
新字:荆公初参政下視廟堂如無人一日争新法怒目諸公曰公輩坐不読書耳公同参政事独折之曰君言失矣如皋夔稷契之時何書可読荆公黙然
書き下し
荊公初め參政となり、廟堂を下視すること人無きが如し。一日新法を爭う。目を怒らせて諸公に曰く、公輩は坐して書を讀まざるのみと。公參政の事を同じくし、獨り之を折きて曰く、君の言は失せり。皋・夔・稷・契の時の如き、何の書か讀む可きぞと。荊公默然たり。
現代語訳
王安石がはじめ参政となったとき、政府の面々を見下すこと、まるで人がいないかのようであった。ある日、新法を論じ争った。目を怒らせて諸公に言った。「あなたがたは、要するに座して書を読んでいないだけだ」。趙抃は同じく参政の職にあり、ひとりこれを打ち返して言った。「君の言葉は誤っている。皋陶・夔・稷・契の時代には、いったい何の書が読めたというのか」。王安石は黙り込んだ。
解説
議論を打ち切る一言に、同じ形で返した条です。相手が使ったのは、無知の指摘でした。あなたがたは、要するに座して書を読んでいないだけだ。知識の量で上に立つ言い方です。返しは、その前提を消しました。皋陶・夔・稷・契の時代には、いったい何の書が読めたというのか。書物より前に、聖人の治世があった。ならば政の正しさは書物の量では決まらない。相手が立っていた土台だけを外しています。王安石は黙り込んだ。
この章句が説くこと
荊公初め参政となり廟堂を下視すること人無きが如し公輩は坐して書を読まざるのみ君の言は失せり皋夔稷契の時の如き何の書か読む可きぞ荊公黙然たり反論書物
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