宋名臣言行録 / 前集巻十・胡瑗
為國子先生日畨禺有大商遣其子來就學其子儇宕所齎千金仍病甚瘠客於逆旅若將斃焉偶其父至京師閔而不責携其子謁胡先生告其故曰是宜先警其心而後教誘之以道者也乃取一帙書曰汝讀是可以先知養生之術知養生而後可以進學矣其子視其書乃黄帝素問也讀之未竟惴惴然懼伐性命之過甚痛悔自責兾可自新胡知其巳悟召而誨之曰知愛身則可以修身自今以始其洗心向道取聖賢之書次第讀之既通其義然後為文則汝可以成名聖人不貴無過而貴改過無懐昔悔第勉事業其人頴脫善學二三年登上第而歸
新字:為国子先生日畨禺有大商遣其子来就学其子儇宕所齎千金仍病甚瘠客於逆旅若将斃焉偶其父至京師閔而不責携其子謁胡先生告其故曰是宜先警其心而後教誘之以道者也乃取一帙書曰汝読是可以先知養生之術知養生而後可以進学矣其子視其書乃黄帝素問也読之未竟惴惴然懼伐性命之過甚痛悔自責兾可自新胡知其巳悟召而誨之曰知愛身則可以修身自今以始其洗心向道取聖賢之書次第読之既通其義然後為文則汝可以成名聖人不貴無過而貴改過無懐昔悔第勉事業其人頴脫善学二三年登上第而帰
書き下し
國子の先生爲りし日、畨禺に大商有り、其の子を遣わして來たりて學に就かしむ。其の子儇宕にして、齎す所の千金あり。仍りて病みて甚だ瘠せ、逆旅に客たり、將に斃れんとするが若し。偶々其の父京師に至り、閔れみて責めず、其の子を携えて胡先生に謁し、其の故を告ぐ。曰く、是れ宜しく先ず其の心を警めて、而る後に之を教え誘うに道を以てすべき者なりと。乃ち一帙の書を取りて曰く、汝是を讀まば、以て先ず養生の術を知る可し。養生を知りて而る後に以て學に進む可しと。其の子其の書を視れば、乃ち黄帝素問なり。之を讀みて未だ竟らざるに、惴惴然として性命を伐るの過の甚だしきを懼れ、痛悔自責して、自ら新たにするを兾う。胡其の已に悟るを知り、召して之を誨えて曰く、身を愛するを知らば、則ち以て身を修む可し。今より始め、其れ心を洗いて道に向かえ。聖賢の書を取りて次第に之を讀み、既に其の義に通じ、然る後に文を爲らば、則ち汝以て名を成す可し。聖人は過ち無きを貴ばずして、過ちを改むるを貴ぶ。昔の悔いを懐く無く、第だ事業に勉めよと。其の人頴脫にして善く學び、二三年にして上第に登りて歸る。
現代語訳
国子監の先生であったころ、番禺(広州)に大商人がいて、その子を都へ学びに来させた。子は軽薄で遊び歩き、持たされた千金があった。そのうち病んでひどく痩せ、旅宿に寄る辺なく、いまにも死にそうであった。たまたま父が都へ来て、憐れんで責めず、子を連れて胡瑗に会い、事情を告げた。胡瑗は言った。「これは、まず本人の心を戒めて、そのうえで道によって教え導くべき者です」。そして一そろいの書物を取り出して言った。「お前がこれを読めば、まず養生の術を知ることができる。養生を知って、そのうえで学問に進むことができる」。子がその書を見ると、『黄帝素問』であった。読み終わらないうちに、びくびくと、自分の生命を削ってきた過ちの大きさを恐れ、痛切に悔いて自分を責め、やり直したいと願った。胡瑗は、もう悟ったと見てとると、呼んで教えた。「身を愛することを知ったなら、身を修めることができる。今日から心を洗って道に向かいなさい。聖賢の書を取って順に読み、その意味に通じ、そのうえで文章を書けば、名を成すことができる。聖人は過ちが無いことを貴ばず、過ちを改めることを貴ぶ。昔の悔いを抱えることはない、ただ事業に励みなさい」。その人は抜きん出てよく学び、二、三年で上位に及第して帰った。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』前集巻十・胡瑗先生、尤も患う、隋唐以來、仕進に文詞を尚びて經業を遺て、苟くも禄利に趨るを。蘇・湖二州の教授と爲るに及び、條約を嚴にして、身を以て之に先んず。大暑と雖も必ず公服して終日、以て諸生に見ゆ。經を解して要義有るに至れば、懇懇として諸生の爲に、其の己を治めて而る後に人を治むる所以の者を言う。學徒千數、日月に刮劘し、文章を爲るに皆經義を傳え、必ず理を以て勝る。其の師説を信じ、行實を敦く尚ぶ。後、太學と爲るや、四方之に歸し、庠舍容るる能わず、旁ら歩軍の居を拓きて以て之を廣む。五經の異論、弟子之を記して、目して胡氏口義と爲す。
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『宋名臣言行録』前集巻十・胡瑗國子監を判す。其の諸生を教育するに法有り。先生諸生に語りて曰く、食飽きては未だ案に據る可からず、或いは乆しく坐すも、皆氣血に傷有り。當に射を習い投壺し、游息すべしと。是れ亦た食らいて語らず、寢ねて言わざるの遺意なり。程伊川曰く、凡そ安定先生に從いて學ぶ者は、其の醇厚和易の氣、之を望みて知る可きなりと。
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『宋名臣言行録』前集巻十・胡瑗侍講、布衣の時、孫明復・石守道と同じく泰山に讀書す。苦を攻め淡を食らい、終夜寢ねず、一坐十年、歸らず。家問を得て、上に「平安」の二字有るを見れば、即ち之を澗中に投じて、復た展べ讀まず。
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『宋名臣言行録』前集巻十・胡瑗初め直講と爲るや、㫖有りて專ら一學の政を掌る。遂に誠を推して多士を教育し、亦た人物を甄別す。故に經術を好み尚ぶ者、兵戰を談ずるを好む者、文藝を好む者、節義を好み尚ぶ者、皆之をして類を以て羣居し、相い與に講習せしむ。胡も亦た時に之を召して、其の學ぶ所を論ぜしめ、爲に其の理を定む。或いは自ら一義を出だして、人人をして對を以てせしめ、之を可否す。當時の政事、之をして折□せしむ。故に人皆從うを樂しみて成る有り。今の朝廷の名臣は、徃徃にして胡の徒なり。
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『宋名臣言行録』前集巻十・胡瑗湖學に在りし時、福唐の劉彝、中ごろ徃きて之に從う。學者數百人、彝は髙弟と爲る。熙寧二年、召對す。上問いて曰く、胡瑗の文章は王安石と孰れか優れると。彝曰く、胡瑗は道徳仁義を以て東南の諸生を教う。時に王安石は方に場屋に在りて進士の業を修む。臣聞く、聖人の道に體有り用有り文有り。君臣父子・仁義禮樂の、世を歴て變ず可からざる者は其の體なり。詩書史傳子集の、法を後世に埀るる者は文なり。舉げて之を天下に措き、能く其の民を潤澤して皇極に歸する者は其の用なり。國家累朝、士を取るに體用を以て本と爲さずして、其の聲律浮華の詞を尚ぶ。是を以て風俗媮薄なり。臣の師瑗、寳元・明道の間に當たり、尤も其の失を病み、遂に體用の學を明らかにして以て諸生に授く。夙夜勤瘁すること二十餘年、專ら學校に切にし、始め蘇湖より終わり太學に于る。其の門より出づる者、無慮一千餘人。故に今の學者、夫の聖人の體用を明らかにして以て政教の本と爲すは、皆臣の師の功なり。
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『宋名臣言行録』前集巻十・胡瑗侍講、召對に當たりて、例として須らく先ず閣門に就きて儀を習うべし。侍講曰く、吾が平生讀む所の書は、即ち君に事うるの禮なり。何ぞ習うを以て爲さんと。閣門奏す。上、舟次に就きて之を習わしむ。侍講固く辭す。上も亦た之を强いず。人皆謂う、山野の人、必ず儀を失わんと。對に登るに及び、乃ち大いに旨に稱う。上、左右に謂いて曰く、胡瑗の進退周旋、擧げて古禮に合うと。