宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
公初坐論救范公逺貶三峽後元昊反范起為環慶帥辟公掌牋奏公難曰吾初論范公事豈以為已利哉同其退不同其進可也遂辭不往
新字:公初坐論救范公遠貶三峡後元昊反范起為環慶帥辟公掌牋奏公難曰吾初論范公事豈以為已利哉同其退不同其進可也遂辞不往
書き下し
公初め范公を論救するに坐して遠く三峽に貶せらる。後に元昊反く。范起ちて環慶の帥と爲り、公を辟して牋奏を掌らしめんとす。公難じて曰く、吾初めに范公の事を論ずるは、豈に以て己の利と爲さんや。其の退を同じくして其の進を同じくせざるも可なりと。遂に辭して往かず。
現代語訳
欧陽脩ははじめ范仲淹を弁護したことで罪に問われ、遠く三峡に貶められた。後に元昊が叛いた。范仲淹は起用されて環慶の帥となり、欧陽脩を招いて公文書を掌らせようとした。欧陽脩は辞退して言った。「私がはじめに范公の事を論じたのは、どうして自分の利のためであろうか。その退くときを同じくして、その進むときを同じくしなくてよいのだ」。ついに断って行かなかった。
解説
庇ったせいで左遷され、庇った相手が復活して呼んでくれました。断る理由がありません。それでも断りました。私がはじめに范公の事を論じたのは、どうして自分の利のためであろうか。受ければ、あのときの弁護が投資だったことになる。誰も口には出さなくても、そう見えます。そして基準を一行にしました。その退くときを同じくして、その進むときを同じくしなくてよいのだ。同行するのは損のときだけでよい、と決めている。
この章句が説くこと
公初め范公を論救するに坐して遠く三峡に貶せらる公を辟して牋奏を掌らしめんとす吾初めに范公の事を論ずるは豈に以て己の利と為さんや其の退を同じくして其の進を同じくせざるも可なり義私心
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『墨子』耕柱子墨子、管黔をして髙石子を衛に游ばしむ。衛君、禄を致すこと甚だ厚く、之を卿に設く。髙石子、三たび朝して必ず言を盡くすも、言、行わるる者無し。去りて齊に之き、子墨子に見えて曰く、「衛君、夫子の故を以て、禄を致すこと甚だ厚く、我を卿に設く。石、三たび朝して必ず言を盡くすも、言、行わるる無し。是を以て之を去るなり。衛君、乃ち石を以て狂と為すこと無からんや」と。子墨子曰く、「之を去るに茍くも道あらば、狂を受くるも何ぞ傷まん。古者、周公旦、管叔を非とし、三公を辭し、東のかた商盖に處る。人、皆な之を狂と謂う。後世、其の徳を稱し、其の名、今に至るまで息まず。且つ翟、之を聞く、義を為すは毁を避け譽に就くに非ず。之を去るに茍くも道あらば、狂を受くるも何ぞ傷まん」と。髙石子曰く、「石の之を去るや、焉んぞ敢えて道あらざらんや。昔者、夫子に言有りて曰く、『天下に道無くんば、仁士は厚きに處らず』と。今、衛君は道無くして、其の禄爵を貪らば、則ち是れ我れ茍くも人の厚きに處ると為すなり」と。子墨子、説びて、子禽子を召して曰く、「姑く此を聴けや。夫れ義に倍きて禄に鄉う者は、我れ常に之を聞けり。禄に倍きて義に鄉う者は、髙石子に於いて焉れを見るなり」と。
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