宋名臣言行録 / 後集巻三・張方平
巳而得卭部川之澤人始為此謀者斬之梟首境上西南夷大震先是朝廷獲智髙母子留不殺欲以招智髙至是乃伏法復以三司使召還奏罷蜀横賦四十萬蜀人至今紀之
新字:巳而得卭部川之沢人始為此謀者斬之梟首境上西南夷大震先是朝廷獲智高母子留不殺欲以招智高至是乃伏法復以三司使召還奏罷蜀横賦四十万蜀人至今紀之
書き下し
已にして邛部川の澤人を得たり。始めて此の謀を爲す者を斬り、首を境上に梟す。西南夷大いに震う。是より先、朝廷智髙の母子を獲て留めて殺さず、以て智髙を招かんと欲す。是に至りて乃ち法に伏す。復た三司使を以て召し還さる。奏して蜀の横賦四十萬を罷む。蜀人今に至るまで之を紀す。
現代語訳
やがて邛部川の沢の者を捕らえた。はじめにこの企てを起こした者を斬り、その首を国境にさらした。西南夷は大いに震え上がった。これより先、朝廷は智高の母子を捕らえて留め置き、殺さずに、それによって智高を招き寄せようとしていた。ここに至ってようやく法に服させた。ふたたび三司使として召し返された。上奏して蜀の臨時課税四十万を廃止した。蜀の人は今に至るまでこれを記録している。
解説
流言を鎮めるだけでは終わりませんでした。出どころまで遡っています。**はじめにこの企てを起こした者を斬り、その首を国境にさらした。**しかも見せる場所が国境でした。相手は境の向こうにいます。誰に向けた処置かがはっきりしている。**西南夷は大いに震え上がった。**兵を返し、城の工事をやめ、城門を開けたうえで、この一件だけを厳しくしました。緩めるところと締めるところが、まったく別に扱われています。
この章句が説くこと
已にして邛部川の沢人を得たり始めて此の謀を為す者を斬り首を境上に梟す西南夷大いに震う奏して蜀の横賦四十万を罷む蜀人今に至るまで之を紀す摘発抑止
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