宋名臣言行録 / 後集巻五・范鎮
韓維上言公在仁宗朝首開建儲之議其後大臣繼有論奏先帝追錄其言存沒皆推恩而鎮未嘗以語人人亦莫敢為言者雖顔子不伐善介之推不言禄不能過也悉以公十九疏上之拜端明殿學士
新字:韓維上言公在仁宗朝首開建儲之議其後大臣継有論奏先帝追録其言存没皆推恩而鎮未嘗以語人人亦莫敢為言者雖顔子不伐善介之推不言禄不能過也悉以公十九疏上之拝端明殿学士
書き下し
韓維上言す、公は仁宗の朝に首めて建儲の議を開く。其の後大臣繼いで論奏有り。先帝其の言を追錄し、存沒皆恩を推す。而して鎮は未だ嘗て人に語らず。人も亦た敢えて言を爲す者莫し。顔子の善を伐らず、介之推の禄を言わずと雖も、過ぐる能わざるなりと。悉く公の十九疏を以て之を上る。端明殿學士を拜す。
現代語訳
韓維が上言した。「范鎮は仁宗の御代に、まっさきに後継を立てる議を開きました。その後、大臣たちが続いて論じ奏上しました。先帝はその言葉を後から記録され、生きている者にも亡くなった者にも恩を及ぼされました。それでいて范鎮は、一度も人に語ったことがありません。人もまた、あえてそれを言い出す者がありませんでした。顔回が善を誇らなかったこと、介之推が禄を口にしなかったことをもってしても、これに勝ることはできません」。范鎮の十九通の上疏をことごとく差し出した。端明殿学士を拝命した。
解説
誰も言わなかったことの理由が、一行で説明されています。**范鎮は、一度も人に語ったことがありません。人もまた、あえてそれを言い出す者がありませんでした。**当人が黙っていると、周りも言い出しにくくなります。本人の意に反して代弁することになるからです。だから証拠が出るまで、誰も動けませんでした。韓維が持ち出したのは、十九通の実物です。**范鎮の十九通の上疏をことごとく差し出した。**言葉ではなく書類が、二十年越しに功を立証しました。
この章句が説くこと
公は仁宗の朝に首めて建儲の議を開く而して鎮は未だ嘗て人に語らず人も亦た敢えて言を為す者莫し悉く公の十九疏を以て之を上る功沈黙
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