宋名臣言行録 / 前集巻三・馬知節
真宗東封泰山車駕發京師上及從官皆蔬食封禪禮畢上勞王旦等曰卿等乆食蔬不易旦等皆再拜知節獨進言蔬食者惟陛下一人耳旦等在道與臣同次舍無不私食肉旦等再拜曰誠如知節之言
新字:真宗東封泰山車駕発京師上及従官皆蔬食封禅礼畢上労王旦等曰卿等乆食蔬不易旦等皆再拝知節独進言蔬食者惟陛下一人耳旦等在道与臣同次舎無不私食肉旦等再拝曰誠如知節之言
書き下し
真宗、泰山に東封す。車駕京師を發す。上及び從官皆な蔬食す。封禪の禮畢わる。上、王旦等を勞いて曰く、卿等乆しく蔬を食らう。易からずと。旦等皆な再拜す。知節獨り進みて言う、蔬食する者は惟だ陛下一人のみ。旦等、道に在りて臣と次舍を同じくす。私かに肉を食らわざるは無しと。旦等再拜して曰く、誠に知節の言の如しと。
現代語訳
真宗が泰山で東の封禅を行った。御車が都を発った。帝も従う官もみな精進の食事をした。封禅の礼が終わった。帝は王旦らをねぎらって言った。「卿らは長く精進を続けた。楽ではなかったろう」。王旦らはみな拝礼した。馬知節だけが進み出て言った。「精進していたのは陛下おひとりだけです。王旦らは道中、臣と宿を同じくしておりました。ひそかに肉を食べていない者はありません」。王旦らは拝礼して言った。「まことに馬知節の申すとおりです」。
解説
ねぎらいの言葉に、全員が拝礼して受けたところへ、一人だけ立って訂正した条です。**精進していたのは陛下おひとりだけです、王旦らはひそかに肉を食べていました。**同宿していたから見ていた、と根拠まで添えています。面白いのは王旦らの応じ方で、否定せずに「まことにそのとおりです」と拝礼しました。嘘のねぎらいをそのまま受けるより、恥をかくほうを選んでいます。
この章句が説くこと
蔬食する者は惟だ陛下一人のみ旦等道に在りて臣と次舎を同じくす私かに肉を食らわざるは無し旦等再拝して曰く誠に知節の言の如し直言体面訂正
関連する章句
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